春季攻勢2
第一波の渡河部隊がアムール川の泥濘と濁流に呑み込まれ、川面が赤黒く染まっていく様を、北岸の野戦指揮所に陣取るソ連極東赤軍の将官たちは青ざめた顔で見つめていた。
「馬鹿な……我々の砲撃準備は完璧だったはずだ。なぜ対岸の防御陣地は沈黙しない!? なぜ我が軍の戦車は川を渡る前に屑鉄に変わっているのだ!」
前線司令官の怒号が響く。だが、彼らの古典的な軍事ドクトリンでは、地下深くで電磁式シーケンサーがレーダー情報と連動し、誤差数メートルで砲撃諸元を自動算定しているという「未来の戦争」を理解できるはずもなかった。
しかし、彼らには退くという選択肢はない。背後には内務人民委員部(NKVD)の政治将校が拳銃を構え、督戦隊が機関銃の銃口を自軍の兵士たちに向けている。モスクワからの厳命は「前進あるのみ」であった。
「第二波、第三波を投入せよ! 敵の砲身が焼け付くまで兵を送り込め! 浮橋を意地でも繋ぐのだ!」
政治将校の狂気的な命令により、さらに数万の兵士と、T―26軽戦車、BT―5快速戦車の群れが、文字通り死体の山を越えて強引な渡河を再開した。
人的損耗を度外視したこの人海戦術は、いかに自動化された要塞といえども、一時的な飽和状態をもたらした。数本のポンツーンが奇跡的に繋がり、排気煙を撒き散らしながらソ連の戦車群が南岸へと上陸を果たす。
「ウラー! 橋が繋がったぞ! 橋頭堡を築け!」
泥まみれのソ連兵たちが歓喜の声を上げたのも束の間。
彼らは気付いていなかった。帝国とその同盟国が構築した防衛システム「ツァーリ・シチ」が、単なる強固な壁ではなく、触れた途端に致命的な反撃を繰り出す「生きた神経網」であることを。
南岸の地下深く。ハバロフスク要塞区のターミナル駅に、地響きを立てて巨大な鋼鉄の蛇が滑り込んできた。
韃漢国の首都・新京から、標準軌(一四三五ミリ)の巨大な鉄路を時速一〇〇キロ以上の猛スピードで駆け抜けてきたSTEL(蒸気タービン・エレクトリック)装甲列車である。
煙突から黒煙を吐く旧式の蒸気機関車と違い、STEL機関のタービンとモーターは不気味なほどの静粛性と、巨大な牽引力を両立していた。
『第二機甲大隊、および第七機械化歩兵連隊、到着。これより即応反撃に移行する』
装甲列車の分厚いハッチが一斉に開き、中から完全武装の大日本帝国陸軍(関東軍)の兵士たちが次々と飛び出してきた。
彼らの顔に、長距離行軍による疲労は一切ない。数時間前まで新京の兵舎で温かい食事をとり、暖房の効いた客車内で休息を取りながら最前線へと「直送」されてきたのだ。兵站のロスを極限まで削ぎ落とした、総力戦研究所のロジスティクスの勝利である。
兵士たちに続き、貨車に据え付けられたランプウェイ(道板)が降ろされると、野太い排気音とともに日本の主力機甲戦力が姿を現した。
大正一二式軽戦車乙型。
史実の豆戦車とは似て非なる、洗練されたフォルムを持つ機動兵器。航空用ガソリンエンジンを積んで極寒や被弾時の炎上に怯えるソ連のBT戦車とは異なり、この戦車の心臓部は被弾に強くトルクの太い**「統制型・空冷ディーゼルエンジン(二〇〇馬力)」である。
車体には避弾経始(傾斜装甲)が取り入れられ、三十ミリ厚のMBF複合装甲**が鈍い光を放っている。
「各車、展開せよ。上陸した露助の戦車をアムール川に叩き落とせ」
車長からの無線を傍受するまでもなく、三十輌以上の乙型軽戦車が横一列の陣形を組み、泥濘の丘を越えてソ連軍の橋頭堡へと殺到した。
「敵戦車だ! 撃て、撃て!」
上陸したばかりのソ連軍T―26軽戦車が、四五ミリ砲の砲塔を旋回させて発砲する。
徹甲弾が乙型軽戦車の車体に命中した。だが、カンッという甲高い金属音とともに、弾頭は傾斜したMBF装甲の表面を滑り、虚しく空の彼方へと弾き飛ばされた。
「弾かれた!? あの薄っぺらな装甲で!」
ソ連の戦車兵が驚愕する間もなく、乙型軽戦車の主砲――長砲身三七ミリ戦車砲が火を噴いた。
初速に優れた徹甲弾は、五〇〇メートル以上の遠距離からT―26の垂直な前面装甲を容易く貫通。車内の弾薬庫を誘爆させ、ソ連戦車は次々と吹き飛び、巨大な火柱を上げた。
歩兵戦闘においても、圧倒的な質の差がソ連軍を絶望の淵へと追いやっていた。
装甲列車から降り立った日本の機械化歩兵たちは、要塞の守備隊と合流。二重斑点迷彩と鋼紙製胸甲の部隊が、アムール川の土手を埋め尽くすソ連兵を包み込むように制圧前進を開始する。
「なぎ払え!」
分隊長たちが構える昭和〇九年式自動小銃が連射され、一般兵の大正一五式歩兵銃が的確に狙撃を行う。さらに、陣地の後方からは**大正一四式重機関銃(一一ミリ)**が重低音の唸りを上げた。
空冷式のアンチマテリアル機銃から放たれる一一ミリ弾は、ソ連兵の肉体を吹き飛ばすだけでなく、泥に足を取られて立ち往生している装甲車やトラックをハチの巣に変えていく。
「駄目だ、対岸にしがみつけない! 橋へ戻れ、退却だ!」
督戦隊の銃口すら恐れず、パニックに陥ったソ連兵たちが、自分たちが架けたポンツーンへと我先にと逃げ戻ろうとした。
だが、帝国軍はそれすらも許さなかった。
彼らの頭上に、決定的な「死の影」が舞い降りてきたのである。
『空の制圧完了。これより地上掃討に移行する』
アムール川の鉛色の空を切り裂き、大日本帝国空軍の機体が降下してきた。
ソ連のI―一五戦闘機やTB―三爆撃機は、すでに上空で待ち構えていた二〇ミリ機関砲搭載の「昭和一〇年式 汎用戦闘機」によって瞬く間に狩り尽くされていた。完全に制空権を奪われた空から姿を現したのは、地上部隊にとっての絶対的な死神――昭和一〇年式 重装甲襲撃機であった。
「なんだあの飛行機は……! 機首が異常に太いぞ!」
逃げ惑うソ連兵が見上げた襲撃機は、無骨で暴力的なまでの威圧感を放っていた。
パイロットを保護するコクピットの周囲は、厚さ二五ミリのMBF装甲で作られた「バスタブ(装甲浴槽)」で覆われており、地上からの小銃弾や機関銃の対空砲火など全く意に介さない。固定脚の車輪を泥濘すれすれまで下げながら、重装甲襲撃機の編隊がソ連軍のポンツーンに狙いを定めた。
翼下に懸架された三七ミリガンポッドが、猛烈な閃光と硝煙を噴き上げる。
ダダダダダダッ!!
それは機銃掃射という生易しいものではなかった。空飛ぶ対戦車砲とも呼べる大口径弾の雨が、ポンツーンの上にひしめいていたソ連兵とBT戦車を、橋もろともミンチに変えていく。木端微塵に粉砕された浮橋が濁流に呑み込まれ、逃げ道を失った南岸のソ連兵たちは完全に孤立した。
「橋が……退路が絶たれた……」
ある者は泥水の中に膝から崩れ落ち、ある者は発狂したように空の襲撃機に向けてモシン・ナガンを撃ち、そして三五ミリ対空機銃の水平射撃によって肉片に変えられた。
打撃、探知、そして即応反射。
敵が攻勢の頂点に達したと錯覚した瞬間に、最高の状態で待機していた増援が、最適のタイミングで急所を抉る。
総力戦研究所が構築した防衛エコシステムは、ソ連軍の「数」をただ消費させるだけの巨大な粉砕機として、完璧に機能していた。
第一波、第二波合わせて十万近い兵力が、わずか半日のうちにアムール川の泥と水に消えた。
北岸の野戦指揮所で双眼鏡を下ろしたソ連の司令官は、膝の震えを止めることができなかった。
「悪魔だ……奴らは、人間と戦争をしているつもりがない。単なる害虫駆除のように、我々を処理しているだけだ……」
絶対防衛線「ツァーリ・シチ」は抜かれるどころか、無傷のまま、より強固な装甲を纏ってアムール川南岸にそびえ立っている。
しかし、帝国の描いたシナリオは、単なる「防衛」では終わらなかった。
モスクワの独裁者に二度と極東への野心を持たせないための、徹底的かつ冷酷な「殲滅戦」の準備が、すでに遙か上空で整いつつあったのである。




