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古の灯火  作者: 丸亀導師
日露戦争
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奉天会戦 3


1905年2月27日から3月2日頃


この約6日間、奉天会戦の中期は、日本軍の機動戦が本格的に展開し、ロシア軍の防御線に決定的な亀裂を生じさせた時期であった。


平原の雪は溶け始め、泥濘が戦場の動きをさらに複雑にしたが、日本軍の研究会戦法は、この環境を逆手に取った。

研究会思想の影響で、地形の変化を機動の機会と捉え、分散した機動塊が泥道を避けつつ進撃を継続した。


ロシア軍は、側面の脅威を認識しつつも、伝統的な決戦思考に縛られ、対応の遅れを露呈した。


日本軍の総兵力は、左右翼の迂回部隊が敵背後に深く浸透し、中央牽制部隊がロシア軍の注意を固定し続ける形で、攻勢を維持した。


ロシア軍は、側面の脅威を認識しつつ、逐次投入の誤りを繰り返し、陣地の分断を許すこととなった。


この中期の展開は、研究会戦法の平原適用が初めて本格的に試され、日本軍の優位を確固たるものとした。



左翼の深化——第一軍の包囲運動


2月27日、左翼第一軍は、ロシア軍左翼の補給路に到達した。

騎兵支隊が先行し、敵の輸送隊を急襲。

雪解けの泥道を馬が苦労しながら進む中、騎兵は敵の監視を突破し、補給路の要所を占拠した。


後続の歩兵機動塊は、丘陵の死角を活用し、分散しながら前進。

軽砲兵は側背位置を確保し、敵陣地の後方を射撃開始。

砲弾がロシア軍の補給倉庫に着弾し、火災と混乱を引き起こした。


爆発音が平原に響き渡り、煙柱が立ち上る様子は、日本軍の浸透成功を象徴していた。

第一軍の動きは、研究会メンバー秋山好古の騎兵思想を体現していた。


広大な平原を「風の如く」疾駆し、敵の退路を脅かす。

分散した機動塊は、地形を味方につけ、敵の逐次投入を誘う形となった。


ロシア軍左翼の指揮官たちは、補給路の遮断を予期せず、予備隊の投入を遅らせた。

これにより、左翼全体が孤立の危機に陥り、奉天市への補給が滞り始めた。

食糧・弾薬の不足が、ロシア軍の士気をさらに低下させ、軍の限界を強いた。



2月28日、第一軍は迂回をさらに深化させ、ロシア軍左翼の側面高地を占領。

軽砲兵の集中射撃が敵陣地を軟化させ、歩兵の浸透を支援した。

泥濘地帯を避ける経路選択が効果を発揮し、日本軍の損害は最小限に抑えられた。


ロシア軍は、左翼の崩壊を防ぐため予備隊を投入したが、分散した日本軍の機動性に翻弄され、各個撃破の危険が増大した。



右翼の浸透——第三軍の側背攻撃


右翼第三軍は、2月27日から28日にかけて、敵背後高地への浸透を加速させた。

森林地帯を縫う分散進撃は、夜間を主に活用し、敵哨戒の隙を突いた。

騎兵が先行し、軽砲兵を随伴させた機動塊は、敵砲台の側背に到達。

その後、砲撃開始は、敵の射界を逆用し、ロシア軍の重砲を次々と無力化した。


砲声が平原に響き、敵陣地の混乱を増幅させた。

第三軍の戦法は、旅順の成功を平原に拡張したものだった。

乃木希典の指揮の下、松川敏胤の立案が徹底され、地形の凹凸を最大限に利用した。



ロシア軍右翼は、平原の開けた地形で正面を固めていたが、背後の森林浸透を予測できず、対応が混乱した。

側背砲撃により、右翼陣地の指揮系統が乱れ、補給路の脅威が増大した。


第三軍の将校たちは、旅順の低損害を自信に変え、平原での大規模適用を慎重に実行した。



2月29日、第三軍は敵背後で軽砲兵の集中展開を完了。


側背からの砲撃がロシア軍の後方陣地を崩壊させ、退路の遮断を現実化した。

泥濘の影響でロシア軍の移動が遅れる中、日本軍の機動塊は柔軟に位置を変え、敵の反撃を回避した。



中央の持続牽制——第二軍の欺瞞


中央第二軍は、中期を通じて牽制を継続した。

散発射撃と偽の前進を繰り返し、ロシア軍の予備隊を正面に引きつけた。

研究会戦法の欺瞞要素がここで効果を発揮し、敵の機関銃・重砲を無駄に消耗させた。


平原の視界が開けているため、偽装陣地の構築が視覚的に敵を惑わせ、ロシア軍の判断を誤らせた。


ロシア軍は、中央の動きを総攻撃の準備と誤認し、予備隊を逐次投入。

これが、側面の弱体化を招き、日本軍の迂回を助けた。

中央部隊の損害は軽微に抑えられ、全体戦力の温存に寄与した。



ロシア軍の対応と苦悩


クーロパトキンは、2月28日頃に側面の深刻な脅威を認識した。

左翼補給路の遮断と右翼の側背砲撃が報告され、奉天全体の包囲を予感させた。


彼は、予備隊を左右翼へ急派したが、分散した日本軍の機動性に追いつけず、各個撃破の危険が増大した。

ロシア軍の陣地は、平原の広大さを逆手に取られ、分断の危機に陥った。


士気は低下し、補給の遅れが飢えと寒さを助長した。

クーロパトキンの思考は、旅順の敗北を繰り返さない決意に満ちていたが、日本軍の新戦法を「予測不能」と感じ始めていた。


逐次投入の誤りは、研究会戦法の誘導によるもので、ロシア軍の伝統的決戦思考が仇となった。

ロシア軍の参謀たちは、側面の崩壊を防ぐため、陣地の縮小を提案したが、クーロパトキンは平原での決戦を諦めきれず、対応を遅らせた。



中期の終わり——包囲の完成へ


3月1日〜2日、日本軍の左右翼は敵背後で連結を開始。

左翼第一軍と右翼第三軍の機動塊が、ロシア軍の退路を脅かし、奉天市の包囲網を形成し始めた。


中央牽制は強化され、ロシア軍の予備を消耗させた。

軽砲兵の側背射撃が敵陣地を軟化させ、歩兵の浸透を支援した。

ロシア軍は、包囲の危機に直面し、クーロパトキンが退却準備を検討し始めた。


中期の6日間は、日本軍の機動優位が明確に現れ、ロシア軍の防御線に決定的亀裂を生じさせた。


雪解けの泥濘が戦場を複雑にしたが、日本軍は地形を味方につけ、進撃を継続した。


奉天会戦の中期は、日本軍の新戦法が平原で花開く時期となった。

古の風が、雪と泥の大地を吹き抜け、決戦の後期へと導いていた。


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