断罪された稀代の悪女は、千年後の歴史の授業を訂正したい
意識が覚醒した瞬間、最初に感じたのは酷いカビの臭いだった。
次いで、全身を走る倦怠感。魔力が枯渇したまま無理やり叩き起こされたような不快感が、頭の芯を痺れさせている。
「……成功、したのか?」
およそ聞き覚えのない、上ずった少年の声が鼓膜を震わせた。
重い瞼を持ち上げる。視界がぼやけて焦点が合わない。
石造りの天井、崩れかけた壁、そして床に描かれた歪な魔法陣。
私はゆっくりと上体を起こした。豪奢だがボロボロに朽ちたドレスの裾から、乾いた埃が舞い上がる。
目の前に、一人の少年がいた。
丸眼鏡に、仕立ての悪いローブ。手には震える杖。怯えと興奮が入り混じった瞳で、私を見下ろしている。
「貴様が、私を呼んだのか」
私の声は、驚くほど低く、威圧感に満ちていた。
少年は「ひっ」と喉を鳴らして一歩後ずさる。
「こ、古代語……! 文献通りだ。いや、翻訳魔道具が機能しているから会話は成立するはず……」
「質問に答えよ。ここはどこだ。今はいつだ。そして、なぜ私を喚び戻した」
私は立ち上がった。足元がふらつくが、気力で背筋を伸ばす。
最後の記憶は鮮明だ。断頭台。降り注ぐ罵声。そして、首筋に触れた冷たい刃の感触。
私は死んだはずだ。愛した男に裏切られ、守ったはずの民衆に石を投げられ、稀代の悪女として処刑されたのだ。
「こ、ここは旧王都の地下遺跡です! 今は聖暦一〇二五年! 僕は王立学院史学科の二年生、アルトと言います!」
少年――アルトは早口でまくし立てた。
聖暦一〇二五年。私が処刑されたのは、帝国暦三年。暦が変わっている。
千年以上が経過しているということか。
めまいがした。千年。気の遠くなるような時間だ。私が命を賭して守った帝国は、もう影も形もないのだろう。
「それで? 歴史学徒が何の用だ。死者を冒涜する降霊術まで使って」
「ぼ、冒涜なんて滅相もない! 僕はただ、真実が知りたいんです!」
アルトは眼鏡の位置を直しながら、必死に訴えかけてきた。
「あなたは、歴史上最も多くの人間を殺した『灰燼の魔女』エリザベート・フォン・ワルプルギスですよね?」
「……そう呼ばれていたこともある」
不名誉な二つ名だ。否定したいが、当時の民衆がそう呼んだのは事実である。
「教科書にはこう書かれています。『彼女は嫉妬に狂い、禁呪を用いて王都の半分を焼き払い、三万人の市民を虐殺した』と。そして『聖騎士レオンハルトによって討伐された』と」
「……レオンハルト」
その名を聞いた瞬間、古傷が痛んだ気がした。
かつての婚約者。そして、私を断頭台へ送った張本人。
「ですが、僕の研究では違うんです! あなたが当時使用した炎の魔術の魔力残滓の分布と、術式の構成を解析すると、どう考えても『虐殺』を目的としたものではない。むしろ……」
アルトは言葉を濁し、私の顔を覗き込んだ。
「あなたは人ではない、何か別のものを焼こうとしていたんじゃないですか? 僕は、その答え合わせがしたいんです。卒業論文のために!」
私は呆気にとられ、次いで、微かに吹き出した。
卒業論文。そんな些細なことのために、禁忌の降霊術を使ったというのか。
だが、その瞳に宿る熱は本物だった。千年もの間、誰もが私を怪物として扱ってきたであろう歴史の中で、この少年だけが「真実」に触れようとしている。
「いいだろう、少年」
私は埃を払い、傲然と微笑んだ。
「その卒業論文とやらに協力してやる。ただし、報酬は高いぞ。まずは、腹が減った。パンケーキが食べたい。それから私が満足するまで、この今の世界を案内しろ」
「パンケーキ......?」
「私の好物なのだ。作ってくれ。」
「わ、分かりました......」
―――
遺跡の外に出ると、そこは森だった。
かつて帝国の中央広場があった場所は、今や鬱蒼とした樹海に飲み込まれている。
石畳の欠片が、苔の下から申し訳程度に顔を出していた。
「ひどいものだな」
「旧王都は五百年前に放棄されたんです。魔素濃度が高すぎて、人が住めなくなったとか」
アルトが解説する。
魔素濃度が高い? 逆だろう。私は周囲の空気を探った。
魔素が淀んでいるのではない。枯渇しているのだ。
自然界の循環が死に絶え、歪なマナだまりだけが点在している。
栄養が偏在し、土地が腐っているのだ。
「アルト。今の世界で、魔法はどう扱われている?」
「魔法? もちろん、生活の基盤ですよ。魔石を使った魔道具が主流ですけど。直接魔法を行使できるのは、貴族か軍の選ばれた人間だけです」
「ふむ。魔石、か」
嫌な予感がした。
私たちは森を抜け、丘の上に出た。そこから見下ろした景色に、私は息を呑んだ。
眼下に広がる平原には、巨大な煙突が林立していた。
黒い煙を吐き出し、空を灰色に染めている。
その足元には、無機質な鉄とコンクリートの都市が広がっていた。
美しい田園風景も、清らかな川も、見る影もない。
「あれが現在の王都、ネオ・アルカディアです」
アルトは誇らしげではない。むしろ、少し申し訳なさそうに言った。
「昔と比べてかなり発展しているでしょう? 文明も」
「……これが発展か?」
私は吐き捨てるように言った。
あれは、まるで星の血を吸って肥え太る寄生虫の巣のようだ。
微かにだが、見える。都市の地下から、どす黒い靄が立ち上っているのが。
それは煙突の煙よりも色濃く、禍々しい。
「おい、少年。あの都市の地下には何がある?」
「地下? 巨大な魔石採掘場と、それを動力源とする中央炉心がありますが……」
「……やはりそうだったか」
私は舌打ちをした。
千年経っても、人間は何も学んでいない。
いや、むしろレオンハルトが事実を隠蔽したせいで、悪化している。
「歴史の授業を始めようか、アルト君」
「え?」
「君の教科書には、私が王都を焼いた理由は『嫉妬』と書かれていると言ったな。レオンハルトが新しい聖女と恋に落ちたから、私が逆上したと」
「はい、それが通説です」
「笑わせてくれる。あの男に、私が嫉妬するほどの価値などない」
私は歩き出した。目指すはあの煤けた都市だ。
「私が焼いたのは、人間ではない。『黒死の苗床』だ」
「黒死の……苗床?」
「当時、原因不明の流行り病があったことは知っているか? 皮膚が黒く壊死し、三日で死に至る病だ」
「あ、はい! 『黒の悪夢』ですね。文献には、聖女マリアの祈りによって浄化されたと」
「あれは病気などではない。地下から湧き出る魔力による『魔害汚染』だ。土地そのものが毒を吐き出していたのだよ。聖女マリアの祈りなど、ただの気休めだ」
アルトが手帳を取り出し、猛スピードでメモを取り始めた。
「私は汚染源を特定した。それが王都の地下水脈に巣食う、古代生物の死骸から発生する瘴気だと突き止めた。だから、地下水脈ごと焼き払うしかなかったのだ」
「で、でも、三万人の犠牲者は?」
「避難勧告は出した。だが、レオンハルトたちがそれを握りつぶしたのだ。『魔女の戯言に耳を貸すな』とな。結果、避難が遅れた市民が巻き込まれた。それは……私の力不足だ」
「レオンハルトは、どうしてそんなことを?」
「奴はもともと、地下の膨大な魔力を利用して莫大な富を生み出そうと画策していた。それを邪魔されたくはなかったのだろう」
拳を握りしめる。千年前の悔恨が蘇る。
業火の中で焼かれていく街。逃げ惑う人々。
使い始めた魔術は、途中で停止することができない。
私は泣きながら、それでも炎の雨を降らせ続けた。そうしなければ、汚染が大陸全土に広がり、人類が滅亡すると分かっていたから。
「焼き払った後、私は魔力を使い果たして疲弊しきっていた。そこをレオンハルトに討たれた。奴は言ったよ。『こうなった以上仕方はない。『黒死の苗床』破壊の手柄は全て僕とマリアのものだ。君は稀代の悪女として死ね』とな」
「なんてこと……」
アルトは青ざめていた。
だが、真実はそれだけではない。私は都市を見据える。
「あの都市の地下にあるのは、私が焼ききれなかった『根』だ。千年かけて再生し、再び毒を撒き散らそうとしている。……いや、もう撒き散らされているようだ」
「まさか、最近流行っている『石化病』の原因ですか?」
「おそらくそれだろう。人間は、その毒を『魔石』という便利なエネルギー源だと勘違いして、掘り起こしているようだがな」
愚かしい。
だが、愛おしい愚かさだ。
私はかつて、この愚かな世界を守るために命を捨てたのだから。
「行くぞ、アルト。卒業論文の続きだ。実地調査といこう」
―――
王都ネオ・アルカディアへの潜入は容易だった。
警備兵は機械仕掛けのゴーレムばかりで、単純な認識阻害魔法であっさりとスルーできた。
魔法技術は衰退し、魔道具に頼り切った弊害だろう。
私たちは都市の中枢、中央炉心へと向かった。
近づくにつれ、空気は重く、喉が焼けるような刺激臭が強くなる。
アルトは咳き込みながら、それでも私の背中を追ってきた。根性のある少年だ。
「先生、質問があります」
「なんだ、急に先生などと」
「あなたは、恨んでいないんですか? 自分を殺し、歴史を改竄し、悪名を着せた人間たちを」
巨大なパイプが張り巡らされた通路を歩きながら、彼は問うた。
私は足を止めずに答える。
「恨んでいるさ。レオンハルトの顔を思い出すだけで、はらわたが煮えくり返る」
「なら、どうして……」
「だが、今の人間たちは無関係だ。君のように、過去を知ろうとする者もいる。それに」
私は立ち止まり、振り返った。
「私が守りたかったのは、名声ではない。この世界の明日だ。たとえ悪女と呼ばれようと、世界が続いているなら、私の『勝ち』だ」
アルトは目を見開き、それから深く頭を下げた。
「……かっこいいです、先生」
「ふん、お世辞は論文に書け」
「論文には書いてほしいんですね……」
―――
最深部に到達した。
そこには、巨大なドーム状の空間が広がっていた。
中央には脈打つ黒い塊――『魔石の根』が鎮座し、無数のパイプが突き刺さっている。
人間たちは、この毒の塊ともいえる膨大な魔力の根っこからエネルギーを吸い上げ、都市を動かしているのだ。自殺行為も甚だしい。
「せ、先生!あれは?!」
アルトが叫んだ。
黒い塊の表面が波打ち、人の形を成していく。
ドロドロとしたヘドロのような怪物が、数十体。いや、数百体。
そして、中央から一際大きな個体がせり上がってきた。それは、かつて私が愛し、憎んだ男の姿を模していた。
『オ……オオ……エリ……ザ……』
「レオンハルト、か?」
私は眉をひそめた。
違う。あれはレオンハルトではない。
奴の執着、欲望、そして汚らわしい自尊心が、地下の膨大な魔力と結びついて生まれた化け物だ。
『なんで……死なない……なんで……僕の邪魔をする……!』
化け物が咆哮した。空間が震え、警報が鳴り響く。
周囲のパイプが破裂し、黒い蒸気が噴き出した。
「まずい、炉心が暴走している! このままだと王都ごと爆発します!」
「落ち着け。千年前にやり残した掃除をするだけだ」
私は一歩前に出た。
魔力はまだ完全ではない。身体はボロボロだ。
降霊術による仮初めの肉体は、長時間の活動に耐えられない。
だが、関係ない。私は『灰燼の魔女』エリザベート。全てを焼き尽くす焔の化身。
「アルト、よく見ておけ。これが、お前が語り継いでいくべき『真実』だ」
私は右手を掲げた。
体内の魔力回路を強引にこじ開ける。魂を削り、燃料にくべる。
かつて王都を焼いた、私の持つ最大最高の魔術。その詠唱を紡ぐ。
「――天よ、嘆きを聴け。地よ、罪を雪げ。我が身を以て薪となし、腐敗せし理を灰へと還さん」
足元に真紅の魔法陣が展開する。
わたしの詠唱を止めようと黒い怪物たちが押し寄せてくる。
アルトが悲鳴を上げて杖を構えるが、彼の未熟な魔法では時間稼ぎにもならない。
私は指を鳴らした。
「『浄化の紅蓮』」
刹那、世界が白に染まった。
轟音も、熱も、すべてを超越した純粋な炎の奔流。
今度こそ、誰も死なせない。
私は自分の全生命力を魔術の制御、その一点に集中させた。
「うおおおおおおおお!」
―――
「……っぐ!」
私は膝をついた。
限界だ。指先から、身体が透け始めている。
「先生!」
アルトが駆け寄ってくる。
周囲の炎は、すでに収まりつつあった。
黒い淀みは消え、代わりに清浄な、しかしどこか寂しい空気が満ちている。
炉心は停止した。
王都は一時的に大停電に見舞われるだろうが、もはや毒を撒き散らすことはない。
「……見事な手際だっただろう?」
「はい……! すごいです、本当に……!」
アルトは泣いていた。私の身体が消えかけていることに気づいているのだ。
「泣くな、少年。死者は還るべき場所に還るだけだ」
「でも、これからのことはどうすれば……」
「それを考えるのが、君の仕事だろう? 生者の役目を奪うつもりはない」
私はアルトの頭に手を置いた。感触が希薄だ。
「書けばいいじゃないか、アルト、君の思うように。稀代の悪女は、実際には口の悪い、ただのお人好しだったと」
「………書きます……! 絶対に、最高の論文を書いて、この国の歴史を書き換えてみせます!」
「楽しみにしている。……ああ、それと」
視界が白く霞んでいく。
最後に、これだけは言っておきたかった。
「千年後の世界も、案外、悪くはなかった」
少年の号泣を聞きながら、私の意識は光の中へと溶けていった。
今度こそ、安らかな眠りが待っている気がした。
―――
王立学院の大講堂は、静寂に包まれていた。
壇上に立った青年――アルト教授は、分厚い本を閉じた。
表紙には『再考・聖暦以前の魔法文明とエリザベートの真実』と記されている。
「……以上が、私が学生時代に体験した奇跡と、長年の研究によって導き出された結論です」
聴衆の学生たちは、呆気にとられたように彼を見つめていた。
今まで「悪女」と教わってきた人物が、実は世界を救った英雄だったという説。
それはあまりにも突拍子もなく、しかし圧倒的な説得力を持っていた。
「教授、質問があります」
最前列の女子学生が手を挙げた。
「その、エリザベートという人は、幸せだったのでしょうか? 歴史に汚名を残すと知りながら、誰にも理解されずに死んでいって」
アルトは眼鏡の位置を直した。
その仕草は昔と変わらないが、表情はずっと穏やかで、自信に満ちていた。
「彼女は最後に笑っていました。だから、不幸ではなかったと私は信じています」
アルトは窓の外を見た。
青空の下、復興した王都が広がっている。
魔石依存を脱却し、自然エネルギーと新たな魔法理論によって再構築された美しい都市。
その片隅にある公園には、かつて忌み嫌われていた「魔女の石像」が、今は「救済の聖女像」として花々に囲まれて立っている。
「それに、歴史はこれから私たちが紡いでいくものです。彼女の名誉を回復し、その生き様を語り継ぐこと。それが、彼女に命を救われた私たちの使命なのですから」
万雷の拍手が講堂を揺らした。
アルトは胸ポケットから、一枚の古ぼけたメモを取り出す。そこには、震える文字で一言だけ、こう書かれていた。
『世界をよろしく頼む』
千年越しの宿題は、まだ終わらない。
だが、これからは一人ではない。
アルトは微笑み、学生たちに向き直った。
「さあ、今日の授業はここまで。次回は、彼女が愛したパンケーキの再現レシピについて語りましょうか」
教室が笑い声に包まれる。
平和な時代の、ありふれた午後。
それはかつて、一人の魔女が命を賭して守り抜いた、未来の姿だった。




