黄昏の上映
「さあ、始まるぞ」
「いよいよね、あなた」
ふたりは寄り添っていた。スクリーンに、ひとりのガンマンが、広大な草原を馬に乗ってやって来る。それを眺めながら、男が妻に言った。
「主人公のシェーンだな?面白そうだ」
「でも、こんな名画を今まで、あたしたち、見ていないなんて不思議ね?」
「そうだね」
観客席は暗い。あちこちから、ポップコーンを頬ばる音が聞こえてきた。もう夜だ。客も少ない。空席も目立っている。
男は、この映画館の支配人であった。だから、今日、この映画を上映すると決定したのは、支配人である彼自身である。
「どうしたんだい、お前。飲まないのかい?」
男は、妻の膝に乗った紅茶の紙コップを覗いて言った。
「ええ、何だかお腹がふくれて。あなたこそ、食べないの?そのホットドッグ?」
「うん、さっき夕食を済ませたばかりだからね。ちょっときついな」
「もう、巡回のお仕事はいいの?あら、喧嘩が始まったわ?」
スクリーンでは、酒場で、男たちが、シェーンに絡んできている。男が見て、笑った。
「男は、血の気が多くて困るよ。おや、相手にしないのかな?」
今日は、ふたりの金婚式であった。支配人とはいえ、小さな三流の名画座の支配人である。彼らの生活は貧しかった。
「あなた、覚えてる?あたしたちの銅婚式の時を」
「あの頃は若かったな。確か、富士山まで行ったかな?覚えてるよ」
「途中の大食堂で、ランチを食べたわね。空気が澄んでて、気持ちよかったわ」
しばらく、ふたりは当時の想い出を追憶していたようだ。黙り込んで、静かに黙想していた。
「確か、お前、降りる途中で、足をくじいてさ、俺が背負って帰ったんだっけ?」
「そうそう、身体が重かったでしょう、あたし」
「いやいや、あの頃ならね。今なら、手を引くだけでも、精一杯だけどね」
ふたりは、しばらく画面に見入っていた。スクリーンでは、映画が繰り広げられている。
「おや、奴は拳銃で男を撃ったぞ。まったく、悪党だな。......................、うん?どうした、お前?」
「何だか肌寒くて。冷房の効きすぎかしら.......................」
「少し、待っておいで」
老人は立ち上がると、ロビーに通じる分厚い扉の向こうに消えた。しばらくすると、薄い肩掛けを持ってきて、老妻の肩に優しく掛けてあげた。
「嬉しいわ。ありがとう、あなた」
しばらく、ふたりは、また映画に夢中であった。画面では、シェーンが男を気絶させて、敵のいる酒場へ乗り込んでいくところであった。老妻は、黙って紅茶を飲みながら、映画のストーリーにのめり込んでいた。
長年の夫婦生活。老人が、仕事で疲れて、帰りが遅くなっても、妻は嫌な顔をせずに、彼をもてなして、励ましていた。二人三脚の長い人生であった。彼にとって、妻は人生の最良の素晴らしいパートナーであった。
「あなた、最後のシーンね。撃ち合いが始まったわよ、ほら」
返事はなかった。老妻は、何気なく彼を振り向いた。いつの間にか、男は眠り込んでいた。おそらくは、今日の仕事で疲れたのだろう。ぐっすりと、寝息を立てて眠っている。
妻は、席を外すと、ロビーに向かった。都合良く、彼女のよく知っている副支配人が、ロビーを巡回中であった。彼女は、彼に事情を伝えた。副支配人は、事情を呑み込むと、明日の朝まで、彼をそっとしておくと承諾してくれた。彼女は、分厚い毛布をフロントで借りて、座席に戻ると、そっと彼に掛けてあげて、ロビーに出た。もう深夜だ。あとは、彼に任せて、もう帰ろう。彼女は、両手にバッグを握りしめて、映画館を出た。でも、素敵な一夜だったわ。
高齢ではあるが、彼女の足取りは軽かった。街に出た。夜空には、キラキラと星が輝いている。今日の夜空、いつもより綺麗だわ。さあ、あのアパートまで帰らなきゃ。夜は更けていくのであった.....................。




