【第20話】虚の王
王都は割れていた。
救世主を信じる者と、虚を望む者。
広場では毎夜のように衝突が起こり、石や火が飛び交い、兵士すら手を出せずに立ちすくんでいた。
その混乱のただ中、影の結社アルドは囁きを広げた。
「救世主は神ではない」
「審判は虚を焼けぬ」
「真実など要らぬ。虚こそが救いだ」
虚を望む声は、人々の不安と飢えに染み込み、王都を呑み込んでいった。
◇
ある夜。
審問院の広間に、ひときわ重い気配が満ちた。
仮面の男——アルドの頭目が姿を現したのだ。
「救世主レオン。ここまで秩序を築き、虚を焼いてきたお前を、我らは認めざるを得ない。だが——」
仮面が外される。
現れた顔に、広間は息を呑んだ。
そこにいたのは、かつて王都で“預言者”と呼ばれ、神殿を導いた男——大司祭ヴァルムだった。
聖女と勇者を讃え、俺を“無能”と追放した張本人。
「虚は人を救う。真実など人を裂くだけだ。だからこそ、我は虚の王となった」
◇
民衆が広間を取り囲み、両陣営に分かれて叫ぶ。
「救世主を信じる!」
「虚の王に従え!」
混乱の声は天を突き、石畳を震わせた。
ヴァルムの目が俺を射抜く。
「お前は己をも裁くと言ったな。ならばここで示せ。——我と対峙し、己の真を証せ!」
胸の《審判》が灼熱のように燃え上がる。
神々の声が重なった。
——最後の審判だ。
——虚の王を焼き、秩序を選ぶのは、民の心そのもの。
◇
ヴァルムが両手を広げると、虚が溢れ出した。
幻影が広間を覆い、民の前に甘美な嘘が並ぶ。
「病は癒える」「飢えは消える」「死者は蘇る」
人々が涙を流し、手を伸ばす。
「見ろ、レオン! 真実は苦しみを与えるだけだ! だが虚は人を救う!」
俺は槍を掲げ、声を張り上げた。
「虚は一瞬の慰めだ。だがその後に残るのは、焼け野原だ!」
《虚言灼》を放つ。
炎が幻影を焼き、嘘が剥がれるたびに、民は悲鳴を上げた。
「夢を奪うな!」
「真実など見たくない!」
——虚を望む心が、俺を拒む。
◇
ヴァルムの嘲笑が響く。
「お前は孤独だ。民は真実を憎み、虚を愛する。お前一人で抗えるか?」
胸の奥で神々の声が囁く。
——導け。
——裁くだけでなく、示せ。
俺は槍を地に突き立て、声を震わせた。
「聞け! 俺は神ではない! だが、お前たちと同じ人間として誓う! 虚にすがらず、真を選ぶことができると!」
光が槍から広がり、鏡のひびを貫いて澄み渡った。
その光は民の影を照らし、虚に覆われた心を少しずつ揺り動かす。
「……レオン殿は……虚を焼いた……」
「俺たちを裏切らなかった……」
少しずつ、声が変わっていく。
◇
ヴァルムが怒号を上げ、虚を極限まで膨れ上がらせた。
「ならば、民ごと呑み込め!」
黒煙が天井を突き破り、広間を覆う。
俺は最後の力を呼び覚ます。
「——《審判・天照》!」
光と炎が爆ぜ、虚を覆い尽くす黒煙を焼き尽くす。
ヴァルムの身体が軋み、仮面が砕けた。
「なぜだ……人は虚を望む……なのに……!」
「だからこそ、俺は虚を焼き続ける!」
ヴァルムは絶叫と共に崩れ、虚の王は滅びた。
◇
静寂の後、民の目には涙が溢れていた。
「救世主殿は……最後まで嘘をつかなかった……」
「虚にすがらず、真を選ぶ……」
その夜、王都に新たな秩序が芽生えた。
虚に抗い、真を選ぶという——かすかな希望が。
胸の《審判》は静かに脈打ち、神々の声が響いた。
——試練は終わらぬ。だが、今日、お前は虚を超えた。
俺は空を仰ぎ、静かに答えた。
「ならば、これからも焼こう。民と共に、虚を——」