月隠屋敷の幽霊
山深い村、白瀬の里。
かつて地元の有力者であった月隠家の屋敷が、十数年の時を経て今では「出る屋敷」として恐れられていた。
村人は言う。
「夜になると、屋敷から泣き声が聞こえる」
「開け放った座敷の障子が、ひとりでに閉まる」
「何より、数日前に、村の若者が“幽霊を確かめる”と踏み込んで……戻らなかった」
◇
「屋敷に幽霊が出て、しかも人が死んだらしい」
茶屋で噂話を聞いた楓がうきうきと結に言う。
「結、行こうか」
「……今、団子を食べてるんですけど」
「終わったらでいいよ」
「次はぜんざいを頼む予定だったんですが」
結の言葉を無視して、楓はすでに席を立っていた。
◇
月隠は、典型的な書院造の屋敷。
寝殿造の構造を残しながらも、内と外を繋ぐ開放的な縁側、襖や障子による部屋の区切りが特徴だ。
屋敷に着いた二人を出迎えたのは、白瀬村の年寄だった。
「ひと月ほど前、この屋敷を調べに来た若者がひとり、客間で死んでおった。
首の後ろを鋭い刃物で刺されたような傷じゃったが、戸は開いておらん。
それに、室内に他の足跡もない。……まるで“幽霊が貫いた”ような死に方でな」
「出入り口が一箇所しかないのに、人が殺されていた」
結は眉を寄せた。「つまり、“閉ざされた空間”ということですね」
「板戸には釘が打たれていたのだよ。内側からも外側からも開けられぬようにな」
「ほう……それは興味深い」
楓の目がきらきらと輝く。
結は密かに思っていた。
(この人、こういう謎解き好きだよなぁ…)
◇
中はひどく静かだった。
ほこりと湿気が積もった空気の中、問題の“客間”を訪ねる。
四畳半ほどの広さに畳が敷かれ、襖と板戸で囲われている。
外には細い縁側があるが、人が歩けば音が出る。だが、若者が殺されたとき、誰もその音を聞いていないという。
「襖は閉じられていた。出入りの痕跡もなし。
死んだのは、屋敷に入ってひとりでこの部屋に泊まった夜のことです」
年寄はそう説明した。
「じゃあ、その夜だけ何かがあった。……犯人は、幽霊、か」
「楽しそうに言わないでください」
◇
調査を始めた二人。
まず、結が異変に気づく。
「この部屋、柱の一本だけ色が新しいです」
「ほんとだ。左奥の柱、やたら白いね。取り替えたんだろうか」
さらに、畳をめくると、板の一枚に“細工”がされていた。
「これ……上下から押せば外れるようになってます」
結が静かに言う。「つまり、下から人が出入りできる構造になっていた」
「床下通路があるってことか。旧家では珍しくないな」
楓は頷いた。「つまりこの部屋、“完全な密室”じゃなかったってことだ」
◇
村人から話を聞くと、屋敷には昔、隠し通路があったという。
「月隠の主が戦で劣勢になったとき、逃げるための抜け道をこさえたと聞いとる。
それが残っておったんじゃろな」
さらに別の老婆がこう言った。
「この屋敷ではな、昔女中が一人、殿様に不義を責められて殺されたんよ。
それからというもの、夜な夜な女のすすり泣きが聞こえるようになっての……」
「よくある話ですね」
結は淡々としながらも、柱をもう一度見た。
「ただ、その女中、どこに埋められたかも分からないままになっているとか」
◇
夜。
楓と結は、例の部屋に潜むことにした。
楓はあいかわらず線香と酒を持ち込み、隅でくつろいでいる。
「幽霊が出るなら、線香ぐらい焚かないとね」
「それ、自分が眠くなるためじゃないですか」
やがて――
畳の下の床板が、わずかに動いた。
結は静かに二刀を握った。
畳が音もなく持ち上がり、影が忍び出たその瞬間――
「そこまでです」
結の声が空気を切る。
「おや、出たのは幽霊じゃなく、村の“仏師”だったか」
楓の声は妙に楽しそうだった。
◇
犯人は、村に住む仏師だった。
十数年前に館の床下に隠された金細工を盗みに入り、若者に目撃されたため、床下通路を使って殺したのだった。
「どうせ幽霊騒ぎで誰も近づかん。床下に潜んで、宝を持ち出すには最高だった」
「だから殺した。……罪に、言い訳をつけて」
結の言葉に、仏師はうつむいた。
◇
帰り道。
「幽霊は結局、出ませんでしたね」
「でも、幽霊のせいにしたい人間は、たくさんいたよ」
「人の噂も、死者の声も、時に都合のいい隠れ蓑になりますね」
「でも結、お前は“隠れ蓑”を破るのが上手くなった」
「ありがとうございます。でも次は、もっと普通の仕事がいいです」
「次は寺の坊主が、“妖の耳を拾った”って騒いでる」
「……そんなんばっかですね」