街道市、猫と団子と迷子騒動
朝、少し遅めの時間。
旅籠の二階から、半分眠そうな声が響いた。
「師匠、買い出しに行ってきますね……団子屋があれば寄りますけど……」
「ほい、これ小遣い。あと、団子は“今度食べる分”だけにしてね?」
「今度の“今”が大事なんですよ……」
「ダメです」
「くっ……!」
軽いやりとりを交わしつつ、結は肩掛け袋を提げて宿を出た。
楓は留守番。昼前まで寝てるか、早くも茶と酒の境目を曖昧にしてるか、どちらかだ。
今日は、ただの買い物。
味噌と干し魚と塩昆布、それと、おやつを少し。
斬る必要も、封じる必要もない。……たぶん。
◇
旅籠から五町(およそ五百メートル)ほど下ったところに、街道沿いの市が広がっていた。
「わあ……にぎやか……」
干し物、焼き魚、薬草、団子屋、飴屋、胡麻油、草履……見て回るだけでも楽しい。
結は目をきらきらさせながら、ひとつずつ品を確かめて歩いた。
「この味噌、ちょっと甘めで美味しそう……あ、この干しイカも。師匠、酒のつまみに喜びそう……」
ふと、足元にすり寄ってきた何かがある。
「……にゃ」
白地に黒い斑点のある小さな猫が、結の足にすり寄ってきた。
「あっ、猫さん……迷い猫……?」
首輪はついていない。けれど人懐っこく、尻尾をふりふりと揺らしている。
「……一匹でこんな人通りの多いところ、危ないなぁ……」
結はしゃがんでそっと猫を抱え上げた。思いのほか軽い。
「ちょっとだけ、探してあげますからね」
──この判断が、少しばかり騒動を呼ぶことになる。
◇
「どなたか、この猫に見覚えありませんか?」
結は数軒の店に声をかけて回った。だが返ってくるのは、
「うーん、見ないな」
「飼い猫にしちゃ痩せてるねぇ」という言葉ばかり。
その間も猫はじっと結の腕の中に収まっている。とても落ち着いている。
……むしろ懐きすぎていて、離れようとしない。
そのとき──
「そこの子! そこの猫! それ、ウチの猫だよ!!」
突然、怒鳴り声のようなものが響いた。
振り向くと、少し年嵩の女性が怒った顔でこちらに駆け寄ってくる。
「何勝手に抱いてんのさ! 泥棒かと思ったよ!」
「えっ、い、いえ! この猫が一人で市の方に……」
「この子は近所でも有名な迷い癖猫なんだよ。ちゃんと戻ってくるのに、勝手に連れてくなんて!」
「申し訳ありません……ただ、危なそうだったので……」
「はぁ……ったく……最近は猫まで勝手に攫ってく若い子がいるんだってさ。気をつけなよ」
「……はい」
結は深く頭を下げて、猫を女性に渡した。
猫は最後まで名残惜しそうに結の指先をぺろりと舐めた。
◇
「……人助けって、難しい……」
団子を片手に、結はひとり、川辺の石に腰掛けていた。
ややしょんぼりしながら、あんこ団子を一口かじる。
「正しくても、全部が感謝されるわけじゃないし……」
だけど、あの猫は最後まで逃げなかった。
抱っこされてる間も、嫌がっていなかった。
──それだけで、少し救われる気もする。
「師匠だったら、どうしたかな……無視してたのかな……。いや、“面倒事は避ける主義”ですもんね、きっと」
ぶつぶつ言いながら、団子の最後の一口を口に入れる。
「……でも、団子は、今日も美味しいです」
◇
日が傾き始めたころ、旅籠へ戻ると、玄関で楓が湯呑み片手に待っていた。
「おかえり。ずいぶん遅かったね?」
「……迷い猫を助けようとしたら怒られて、団子を食べて反省してました」
「君らしいねぇ、それ」
「……師匠だったら、どうしてました?」
「うん、抱いて帰る前に“これは飼い猫っぽいな”って気づいて、近くで餌を探すかな。そのほうが自然だろう?」
「……くっ、そんな理屈で……!」
「でも、優しいね、君は。猫にも、人にも。そこは……変えないでいいと思う」
楓の声が、いつになく真面目だった。
結は目を伏せて、小さく頷く。
「……団子、もう一串、買ってきてます。師匠の分です」
「うむ、よろしい」
「食べる前に一つ、謝ってください」
「……えっ?」
「私の財布から三文抜いてたの、知ってますから」
「…………あ、見てた?」
「師匠の選択に任せます(無表情)」
「お茶淹れます!!」
その夜の茶と団子は、ほんの少し甘く、ほんの少ししょっぱかった。




