灰の神社
峠を越えた先に、その神社はあった。
灰比神社――人が消える神社、として近隣で噂されていた。
近づいた者は、戻らない。立ち寄った者の声が、掠れる。
そして夜には、「誰もいないはずの拝殿から鈴の音が聞こえる」という。
「今回の依頼は、“調査”です」
結は念を押すように言った。「退治じゃなく、原因の究明。ご遺族からの直依頼ですから」
「はいはい、ちゃんとやるよ」
楓は提灯を肩にかけ、あくびを一つ。
午前中のうちに神社に着いた。門は朽ちていたが、本殿は意外にも形を保っている。
ただひとつ、異様なのは――参道に積もった厚い灰だった。
「人の足跡は……あれだけです」
結が指差したのは、灰の上に続く一対の足跡。
境内に入ったところで、ぷつりと消えている。
「この灰、調べるよ」
楓がかがみこみ、指先で灰をすくう。「……焼けた木ではない。これは骨灰だ。人骨が粉になったものだ」
結は無言で息を呑んだ。
◇
社務所跡に入ると、掠れた墨で書かれた記録が残されていた。
"灰が増えている。声を上げた者から、消えていく。
本殿に何かがいるのは確か。だが、拝殿の鈴が鳴るときは静かになる。
誰が鈴を持ち出したのかは不明。もし本殿へ入るなら、“音”に注意しろ"
「鈴が必要なんですかね」
結は記録を指差した。
「でも、“鳴ると静かになる”とは?」
「"音を立てると危険”だが、“鈴は例外”ということだろう。つまり――音には種類がある」
拝殿の前に戻ると、扉は固く閉ざされていた。
傍らに置かれた台座には、元々何かが据えられていたような丸い痕跡がある。
「……ここに、鈴があったんですね」
「盗まれたか、持ち去られたか」
境内を一周したとき、本殿裏の木の根元に小さな鈴を見つけた。
だがその周囲だけ、灰が一切積もっていない。
「不自然ですね。灰が“避けている”ように見える」
「あるいは、一度ここで何かが“爆ぜた”んだよ。音がして、灰が吹き飛ばされた」
楓は鈴を拾い、ふと気づいた。
鈴の内側に、墨で小さな字が書かれている。
"正しき音を奏でよ。偽りの音は、すべてを燃やす"
「なるほど、音は“鍵”だ。正しい音でなければ、扉は開かないどころか――命を取られる」
◇
本殿の扉の前。結は深く息を吸い、鈴を持ち上げた。
そして――鳴らす。
ちり――ん。
微かな音が境内に響いた。
直後、扉が音もなく開いた。
「……やっぱり、“鈴が鍵”だった」
中は異様だった。
床も壁もすべて灰。人の形をした灰の塊が、いくつも散乱している。
「人型……跡じゃなく、形として固まってる」
結は目を伏せた。「消えた人たち、ですね」
その中央に立つのは、首のない神像。
不自然に磨り減った足元と、無理に固定されたような台座。
後方の壁の高所に――切り離された“首”が、紐で吊られていた。
「本来は、“頭部が別の像”にあったんだ」
楓はぽつりとつぶやいた。「誰かが神を“入れ替えた”んだよ。首を交換して、別の存在を祀った」
「それで、声を奪われた?」
「うん。もともと祀られていた神は、声の神。鈴の音はその加護の証だったはずだ」
「でも、偽りの神が据えられてから、“音”が災いになった……?」
「そうだ。鈴だけが、正しい音――つまり、“元の神”の名残だったんだよ」
結は刀に手をかけた。
「師匠、神像……斬ります」
「よし。間違った声で祀られたものを、終わらせよう」
◇
神像を断った瞬間、境内に風が走った。
灰が舞い、屋根が鳴った。
――だが、何も襲ってこなかった。
音は戻り、木々が揺れ、小鳥が鳴く。
それはまるで、封じられていた空気が解かれたようだった。
◇
帰り道。
結は黙ったまま歩いていた。
「……結論として、“神のすり替え”が原因でしたね」
「うん。信仰の対象を偽った。それも、人の都合で」
楓は静かに言った。「“災い”が起きたとき、それは時に、神でも妖でもなく――人の手で起きる」
「で、その尻拭いを私たちがするんですね」
「そういう仕事さ。だからこそ、声の正しさより、本質を見抜く目が必要になる」
「……師匠の目は、どこを見てるんですか」
「昨日見た団子屋。帰りに寄るつもり」
結は、ため息をひとつ。
「…謎解きの後に、甘いものを食べたいと」
「結は私をよく分かってるね」
ふたりは、神の声が戻った山道を、静かに下っていった。