灯火の下、踊る影
とある街道の宿場町にて。
今日だけは、人も妖も、浮かれたようにざわついていた。
「結、お祭りだってさ。夜になったら行こうか」
「えっ……師匠、祭とか行くんですか?」
「美味いものと酒が揃ってるなら、行くよ」
「……いつも通りですね」
祭りの名は「灯祭」。
古い神社に捧げる火祭りで、町の通りには提灯がずらりと並び、踊りや屋台がにぎやかに広がるらしい。
「せっかくだし、浴衣でも着ていきなよ。町の貸し衣装屋で借りられるって」
「いや……私は動きやすい服の方が……あっ、でも……」
結の脳裏に浮かんだのは、屋台の団子と、祭り限定の甘酒だった。
「……師匠、動きやすい浴衣って、あります?」
「あるある。祭用ってやつね」
◇
夜。
町は提灯に照らされて、昼間とはまるで別の世界になっていた。
結は薄紅の浴衣に兵児帯を締め、髪を軽くまとめ直していた。
楓は相変わらずの黒装束に眼帯のままだったが、珍しく額に小さな布飾りを巻いている。
「それ、似合ってますよ、師匠」
「照れるね。君もいい感じだ。斬りかからなければ普通の町娘に見える」
「そこまで言います?」
人混みの中を歩く二人。屋台の灯、笑い声、鈴の音。
結は串団子を片手に、楓は軽く酒を飲みながら、それぞれの“祭りの過ごし方”を満喫していた。
「……あれ? なんか……空気、変じゃないですか?」
ふと、結が足を止める。
人々の足元を、影のような何かが通り過ぎていく。
その気配は、妖のものだ。
「師匠……感じますよね?」
「ああ。だけど斬りかかっちゃだめだよ。ここは町のど真ん中。下手すりゃ大騒ぎになる」
「でも、放っておいたら……」
「人を襲う気配はない。今は“様子を見る”が正解」
◇
結と楓は、影の気配を辿り、祭りの裏通りへと進んだ。
そこは人の波から少し外れた、小さな神社の裏手。
提灯の明かりも届かず、ほの暗い空間の中、何かがうごめいている。
「……結界跡ですね、ここ。古い神社の封印が、弱ってる」
結が言った通り、そこには古い札が貼られた鳥居があった。だが、その札は風雨でほとんど剥がれ、機能を失っている。
「ここから、さっきの妖が漏れたんでしょうか?」
「だろうね。軽い“祭りの熱”につられて出てきたんだろう」
楓は静かに右手を掲げると、一枚の札を風に舞わせた。
「封じるか……それとも、結、お祭りのついでにちょっと、踊るかい?」
「……踊り、って……戦うんですよね?」
「もちろん」
◇
影が集まり、姿をなしたのは、狐の面をつけた童のような妖。
その足元に、いくつもの小さな影がまとわりついている。
夜の祭りに紛れて、ちょっとした悪戯を働いていたのだ。
「迷子を増やしたり、屋台の釣銭を飛ばしたり……悪質ってほどじゃないけど、“無邪気な悪意”ってやつだね」
楓が指を鳴らすと、妖たちはこちらに牙を剥いた。
音もなく、飛びかかる──が、その刹那。
「――っ!」
結が一瞬で踏み込み、二刀の鞘を打ち合わせる。
鋭い一閃。風が裂ける。
動きを止める札を一枚、狐面の妖に投げつけた。動きが止まる。
「よっ、上出来!」
「斬らずに止めました!」
「じゃあ、あとは──」
楓が指をすっと立て、口元で印を切るように動かすと、結の札と連動するように小さな妖たちの動きも止まり、霧のように溶けていった。
「これで終了。元の封印も……新しい札で代用しといた。完了っと」
◇
しばらくして、祭りの喧騒の中に二人は戻っていた。
「結、すごかったね。あの狐妖、けっこう素早かったけど、見切ってた」
「……浴衣で戦うの、ちょっと難しかったです」
「けど、ちゃんと踊れてたよ。“刀の舞”ってやつ」
「師匠、それっぽく言えば済むと思ってません?」
「言い方って大事だよ。おかげで、誰にも見られずに済んだし」
「……でも、もうちょっと、祭り楽しみたかったです」
「それならほら、金魚すくいとかどう?」
「本当に祭り好きなんですね、師匠……」
そして結は、今は気づかないふりをしていた。
さっき、自分が戦ったとき、提灯の陰から子どもが一人、それを目を丸くして見ていたことに。
──まるで、物語のような目で。