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室町異聞  作者: 辻桃
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黄泉の道にて


 「……?」


 目を開けると、そこは音のない闇だった。

 地平線もなければ、天の色もない。全てが、黒い。


 皮膚に空気の感触があった。呼吸もできる。だが、心臓はもう動いていないのだと、どこかで理解していた。


 「……ああ、ここは地獄か」


 誰に言うでもなく、楓は呟いた。


 天国や地獄があるなどと、信じたことはなかった。

 だが、己が弟子の刃に倒れ、こうして“生きていない感触”の中に立ってみれば、信じざるを得ない。


 ここは――終わりの場所だ。


 


 そのとき、背後に気配があった。


 楓が振り返ると、そこには懐かしい顔があった。


 「……縁くん」


 返事はない。けれど彼女は確かに、そこに立っていた。


 影と闇の中に、淡く浮かび上がるように。

 大人びた輪郭の中に、かつての無邪気さが、かすかに残っていた。


 「……ここで会えるとは思ってませんでした」

 縁が、微笑を浮かべて口を開く。

 「もっと、先のことかと」


 楓はその言葉に、ひっかかりを覚えた。

 “先”? つまり死ぬことを予測していたのか?


 「……君、全部気づいてたね?」


 「全部ではありませんよ、さすがに。でも――楓さんが、見た目より随分と長く生きているだろうってことは、なんとなく。そして、なにかしらの目的を持っていることも」


 縁の声音は、どこか柔らかく、そして遠い。


 楓は小さく笑った。


 「恐ろしいね。危険物だと分かっていながら、あの子を預けたとは」


 「…楓さんなら、育ててくれると信じてた。実際、ちゃんと育ててくれました。結はもう、ひとりでも大丈夫です。

 …結、なんて言ってましたか?


 「……“ごめんなさい”と」


 「ふふ、優しい子ですね。私に似て」


 縁はふっと顔を逸らした。踵を返す。


 「――案内します。着いて来てください」


 



 


 どれだけ歩いても、地平が見えない。

 地面は黒く、空もない。風も吹かない。


 ただ“進む”という行為だけが、この闇の中で唯一生きていた。


 


 「……君が、地獄行きとは思わなかったよ」


 楓が呟いた。


 縁は足を止めずに答える。


 「どんな理由であれ、殺しは殺し。…地獄が正しい罰かどうかは分かりませんが…。なんにしろ、覚悟の上でした」


 言い切ったその声は、どこまでも澄んでいた。


 


 「……そういえば、”目的”は達成できましたか?」


 「何もできなかったよ」


 楓は、直後言い直した。


 「いや、…それも違うな。結が、私を止めてくれた。あの子が居たから、私はここにいる」


 「つまり、解放されたというわけですね」


 「……ああ。皮肉なものだ。利用しようと育てた弟子に、最後、救われるなんて」


 


 その言葉に、縁は何も言わなかった。


 闇の道を、ふたり並んで歩く。


 しばらくして、楓がぽつりとこぼした。


 「…結には、悪いことをした。あの子は、これからどうなるんだろう」


 縁が初めて、立ち止まって振り返る。


 「それを決めるのは、結自身です。――信じましょう、あの子を」


 


 静寂が、再び訪れた。


 


 やがて、縁が口を開く。


 「ここから先に進むと、もう戻れません」


 楓は少し目を細めた。

 まるで、光も影もないこの世界で、何かを見ようとするように。


 「……会っておきたい人は、いませんか?」


 


 楓の心に、一人の顔が浮かんだ。


 優しい目をした兄。

 いつも座敷牢の前に立ち、話しかけてくれた人。

 誰よりも信じ、誰よりも失いたくなかった人。


 


 だが、楓は静かに首を横に振った。


 「彼は天国の住人だ。私とは、住む場所が違う」


 「……そうですか」


 縁もまた、表情を変えなかった。


 


 ふたりは再び、歩き出す。


 どこまでも暗い黄泉の路。

 けれどその足取りは、どこか迷いがなかった。


 


 ――やがてふたりは、闇に呑まれ見えなくなった。



初めまして、辻桃です。

創作は好きだけど最後まで終わらせれなかった私が、初めて最後まで書いた作品です。


結と楓、そして彼らを取り巻く登場人物たちの姿が、少しでも心に残ってくれたら嬉しいです。


これにて室町異聞は終了です。

全46話という短い間でしたが、お付き合い頂きありがとうございました。


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