師と弟子
目が合った。
――その片目は、赤黒かった。
人のものではない光を宿し、濁流のように感情が渦巻いている。その視線が結を射抜いた瞬間、倉庫の空気がびりりと震えた。
「……やあ、遅かったね」
穏やかな声だった。いつもと変わらぬ調子で。
だが、結は答えられなかった。喉の奥が硬直して、言葉が出ない。
しばらくの沈黙ののち、ようやく声を絞り出す。
「……聞きたいことが、山ほどあります」
「いいよ。答えられることなら、いくらでも」
楓は倉庫に置かれた木箱へ腰を下ろす。その手には札が数枚。見慣れた封印用のそれだったが、目的は封じるためではない――何かを、“出す”ための札だ。
空間が、ほんのわずかに歪む。
「…どうして、私を置いていったんですか」
結の声はかすかに揺れていた。
楓は札を指先で揃えながら、ゆっくりと答える。
「潮時だと思ったんだ。君はもう一人で生きれる。…そう判断した。それだけのことだよ。置き手紙だって残したつもりだったけどね。でもまさか、白紙のほうを読むとは思わなかった」
炙り出しのことを思い出す。あれを教えてくれたのも、楓だった。
「それは…なんですか」
視線の先にある結界のような札の陣。見覚えのある術式だった。
けれど、そこから滲み出す気配は、明らかに異常だった。
重い。黒く、ねばつくような気配。言葉では形容しがたいが、“向こう側”の気配だった。倉庫の空気がどこか呻くように震えている。
「……私の、長年の目的だよ」
楓は目を伏せる。
「私には兄がいてね。――優しくて、賢くて、差別を嫌っていて。
彼はこう言っていた。“誰も閉じ込められない世の中がいいな“と。
……でも、私のせいで死んだ」
楓はゆっくりと立ち上がった。影が壁に伸びる。
「私は“呪われた子”だった。生まれたときから妖の気を宿し、片目は異形の色をしていた。
家は私を座敷牢に閉じ込めて、見世物のように扱った。
そんな私に手を差し伸べてくれたのが、兄だった。……それが、彼の死の原因になった」
その声に、怒りも憎しみもなかった。ただ、静かな痛みがあった。
「――私は彼の願いを、叶えたい」
札の間から、どろりとした気配が洩れた。数ではない。質が違う。
結は悟る。そこに居るのは、封印されてきた妖たち。強大で、凶悪で、因縁を持つ者たち。
それを一度に解き放てば、世界はひっくり返る。
「……私が封印したと思っているだろう? 違うよ、結。
貯めてただけだ。私は妖を“集めていた”。このときのために」
結の指先が、わずかに震えた。
「……私も、殺すんですか」
楓は少しだけ、顔を伏せた。
表情は読めない。
「おまえは強い。そういう人間こそ一番危険だ」
「…私はまだ、あなたに勝てていません」
「勝ち負けの問題じゃないんだよ」
楓は短刀を取り出した。鋭く、磨かれた刃が、倉庫の夕陽をわずかに反射する。
「……すまないね、結」
その言葉は、どこか寂しげだった。
けれど、確かに――本気だった。




