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室町異聞  作者: 辻桃
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縁という灯火



 20半ばになったころ、身体の成長が止まった。

 それが呪いのせいと気付くには割と時間がかかった。



 静かな夜だった。 


 虫の声ひとつせず、ただ風が、土壁の裂け目を撫でるように通り抜けてゆく。山間の集落。その裏手にある狭い路地の一角で、楓は足を止めた。


 血の匂いがする。


 それはもう慣れた。初めて人を斬った夜から、幾度となく浴びてきた匂い。だがその場にあったものは、少し違った。


 倒れているのは、二人。うち一人は、まだ息がある。たがすぐ事切れるだろう。もう一人の、喉を断たれた男の懐には、懐紙に包まれた薬草が入っていた。背を向けた少女の手元には、返り血を拭った布。手の中の刀が微かに揺れていた。


 「……誰かにこのことを話しますか」


 気配に気付いたのか、楓にそう問う。

 その声は、冷静だった。だが張りつめた空気が、張りぼてではないと語っていた。


 楓は片目を細める。


 「話す、と言ったら?」


 少女は、ふと首を傾けた。そして、刀を握り直した。


 「あなたを殺さなければいけなくなる。私には、妹がいるので」


 迷いのない所作だった。死の匂いに慣れすぎていた。これはきっと、長く続けてきた仕事――生きるための殺し。


 楓は片手で懐から短刀を取り出し、軽く一閃した。少女の刃先を打ち払う。


 「冗談だ。私も同業だよ」


 少女が一歩引いた。だが、敵意は解かれない。

 それでも――


 「……奇遇ですね」と少女は言った。


 「殺しを見て、悲鳴を上げなかった人は久しぶりです」


 その場で、初めて笑った。

 それが縁との出会いだった。



 「ゆかり。妹はゆいです。人に縁を結べって、殺し屋に付ける名前じゃないでしょう?」


 囲炉裏の火がちろちろと揺れていた。


 山奥の小さな小屋。町の目を逃れるには、都合の良い隠れ家だった。


 縁は火鉢の隣に座り、刀を研ぎながらそう言った。火に照らされた顔は年齢よりも大人びて見えたが、声の端に残るあどけなさが、彼女を少女に引き戻していた。


 「…変だとは思わないさ。名を選べるのは、生まれたあとだ」


 「へえ。いいこと言うのね、楓さん」


 「さん」付けはいつのまにか定着していた。警戒心はあまり感じられなかったが、それでも距離の詰め方は慎重だった。


 楓は湯の沸く音を聞きながら、問う。


 「君の妹は、今どこに?」


 縁は、少し口元を引き締めた。


 「山奥の家です。たぶん寝てます。両親はいないので、私が稼がないと」


 そこでふと、顔を上げる。


 「楓さんは? なんのためにこんな仕事を?」


 楓は答えなかった。

 代わりに火にくべた薪が、ぱちりと音を立てた。


 「…まぁ、話したくないこともありましょう」


 縁は、それ以上は問わなかった。楓もそれをありがたく思った。


 殺し合いの夜から、縁とは自然と共に仕事をするようになった。息の合う場面も多く、互いの無言が、刃よりも鋭い意図を読み取る。そんな関係だった。



 ある晩、任務帰りの山道で。

 縁が、ぽつりと呟いた。


 「…もし、私が最悪の事態になったとき」


 楓が足を止める。


 「妹を、お願いしたいです」


 その言葉は、冗談のように軽く。しかし、命を賭けたように切実だった。


 「願わくば、普通の女の子に育ててほしい。刀も血も知らない、そういう生き方を……」


 その願いに、楓は何も返さなかった。


 引き受けるつもりはなかった。ただ、言葉を流すようにうなずいたのは、“もしかしたら使えるかもしれない”と思ったからだ。


 札を回収するために、封印術が及ばぬ場でも動ける小さな手がほしかった。信頼に値する者間の伝達に、楓は飢えていた。




 だが、時を経て思った。


 ――あの子は、時成に似ていた。



 見た目も雰囲気も違う。なのに重なる。


 団子が好きなところも、不条理に怒る目も。誰かのために何かしようとする、危ういまでの優しさも。


 いつしか、楓は知らぬうちに期待していた。


 もしかしたら、あの子は自分を地獄から救ってくれるかもしれない、と。



 それからの年月は、記憶が霞んでいる。


 封印術を教え、二刀を教え、飯を炊いた。

 あのときの結はまだ幼くて、怖がりで、時々、縁と同じ表情を見せた。



 ――そろそろ、捨てなければならない。


 楓は何度もそう思った。

 けれど、独り立ちできるまでは、そう思い直しては日々を繋いだ。


 結は役に立った。札の回収も進んだ。


 それでも、結を道具にはできなかった。時成の面影が、どうしても揺れてしまうから。


 (……君なら)


 そこから先は考えたくなかった。


 そして――もうすぐ、終わりが来る。


 楓はそう、確信していた。



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