呪われた子
◇
____時は鎌倉。
風が、欄間から細く吹き抜けた。
木の床には夕日が落ち、揺れる障子の影を染めている。静かすぎる屋敷。鳥の声も、虫の音も聞こえない。唯一、音を立てていたのは、時折、天井裏から落ちてくる埃だけだった。
少年は、座敷牢の中にいた。
座敷牢。そう呼ばれるその部屋は、見た目こそ清潔に保たれていたが、実態は檻だった。縦格子で囲われたその空間に、少年は幼い頃から閉じ込められていた。
理由はただ一つ――生まれつき、片目が異常だったから。
異形の光を宿したその目を、人々は「呪い」と呼んだ。柏木家に仇なす妖が、血に入り込んで生まれたのだと。母は産後すぐに病で死に、父は少年の顔を見ようともしなかった。
誰も少年のことを見ない。
そういう日々が、ずっと続くと思っていた。
だがある日、牢の外に人の気配がした。
「……おーい。まだ生きてるか」
細い声。けれど、どこか柔らかく響いた。
格子の向こうに立っていたのは、一人の子供だった。年のころは少年とそう変わらず、けれどきちんとした衣を纏っていて、凛とした佇まいをしていた。
その目は、まっすぐだった。少年の片目を見ても、顔を歪めなかった。
「……君、だれ?」
警戒するように問えば、子供は少し首を傾げて、ふわりと笑った。
「僕は、時成。おまえの兄だよ」
楓は目を瞬いた。
「……兄?」
「うん。兄上って呼んで。今日から時々、遊びに来てもいい?」
その日から、時成は毎日のように牢を訪れた。
最初はただ話すだけだった。外で見た鳥のこと、庭の花のこと、屋敷での出来事。次第に時成は書物を持ち込み、外の世界を教えてくれた。
ある日、彼は少年に一枚の葉を手渡した。鮮やかな赤い、楓の葉だった。
「秋に生まれた子には、こういう名が似合うと思ってさ」
「……名?」
「名はまだ無かったでしょ?君はこの葉が色付く時に生まれたんだ。”楓“くん」
楓は、じっとその葉を見つめた。
温かい音のする名だった。
こんなにも、心が満たされることなのかと思った。
◇
時成の後ろ盾があってか、楓の暮らしは少しだけ変わった。
ある日を境に、牢の格子が開かれ、庭に出ることが許された。とはいえ、使用人の目が光っており、自由に動けるわけではない。だが、空の広がる場所に出られるだけで、息がしやすくなった。
庭に出れば、時成が待っていてくれた。
手鞠を投げ合い、ときには水を掛け合って笑った。屋敷の片隅で、二人だけの時間が流れていた。
「兄上は、なんで私に優しくするの」
あるとき、楓が尋ねると、時成は少しだけ考えこんでから、言った。
「呪われた子だとか、妖がどうだとか、そんな話は僕には関係ない。僕は、楓くんが泣いてたから声をかけたんだよ」
「……泣いてなど、いなかった」
「ふふ。そうだったっけ」
その日もまた、風が気持ちよかった。
◇
転機は突然だった。
一年ほど経った後。いつものように庭に出ようとすると、牢の外に、見慣れぬ男たちがいた。彼らは無言で楓の両手を縛り、黙って引きずり出した。
「……っ」
抗うことはできなかった。まだ身体の小さな楓に、為す術はない。
連れていかれた先には、竹柵の向こうに、もう一人――兄の姿があった。
時成は縛られ、地に膝をついていた。
「……兄上?」
「……楓くん…」
その目は暗く、口元は噛み締められていた。
「どうして君まで…」
「うるさい」
柏木家の家人が言い放つ。
「呪われた子に肩入れするとは、貴様もまた呪われた。柏木の血を、これ以上汚すわけにはいかん」
楓の目が、見開かれた。
刹那、刀が振り下ろされる。
「――っ」
血飛沫。首が落ち、時成の身体が崩れた。
誰かが笑った。
「また子を作らねばな。今度こそ“まとも”な子をな」
父だった。
その言葉に、楓の中で何かが崩れた。
◇
気づけば、屋敷の灯は全て消え、音もなく、人がいなくなっていた。
呼吸をしていたのは――ただ一人。
楓だけだった。
◇
その夜、満月が照らす焼け跡に、少年は一人立っていた。
片目に赤黒い光を宿し、まだ幼さの残る顔で、血に染まった刀を手に。
風が吹いた。
静寂のなか、死の香りが漂っていた。
世界でただひとつの、自分だけの秋。
そこから先の人生が、どこへ向かうかなど、楓にはまだ知る由もなかった。




