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室町異聞  作者: 辻桃
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呪われた子


 

 ____時は鎌倉。


 風が、欄間から細く吹き抜けた。


 木の床には夕日が落ち、揺れる障子の影を染めている。静かすぎる屋敷。鳥の声も、虫の音も聞こえない。唯一、音を立てていたのは、時折、天井裏から落ちてくる埃だけだった。


 少年は、座敷牢の中にいた。


 座敷牢。そう呼ばれるその部屋は、見た目こそ清潔に保たれていたが、実態は檻だった。縦格子で囲われたその空間に、少年は幼い頃から閉じ込められていた。


 理由はただ一つ――生まれつき、片目が異常だったから。


 異形の光を宿したその目を、人々は「呪い」と呼んだ。柏木家に仇なす妖が、血に入り込んで生まれたのだと。母は産後すぐに病で死に、父は少年の顔を見ようともしなかった。


 誰も少年のことを見ない。

 そういう日々が、ずっと続くと思っていた。


 だがある日、牢の外に人の気配がした。


 「……おーい。まだ生きてるか」


 細い声。けれど、どこか柔らかく響いた。


 格子の向こうに立っていたのは、一人の子供だった。年のころは少年とそう変わらず、けれどきちんとした衣を纏っていて、凛とした佇まいをしていた。


 その目は、まっすぐだった。少年の片目を見ても、顔を歪めなかった。


 「……君、だれ?」


 警戒するように問えば、子供は少し首を傾げて、ふわりと笑った。


 「僕は、時成。おまえの兄だよ」


 楓は目を瞬いた。


 「……兄?」


 「うん。兄上って呼んで。今日から時々、遊びに来てもいい?」


 その日から、時成は毎日のように牢を訪れた。


 最初はただ話すだけだった。外で見た鳥のこと、庭の花のこと、屋敷での出来事。次第に時成は書物を持ち込み、外の世界を教えてくれた。


 ある日、彼は少年に一枚の葉を手渡した。鮮やかな赤い、楓の葉だった。


 「秋に生まれた子には、こういう名が似合うと思ってさ」


 「……名?」


 「名はまだ無かったでしょ?君はこの葉が色付く時に生まれたんだ。”楓“くん」


 楓は、じっとその葉を見つめた。

 温かい音のする名だった。


 こんなにも、心が満たされることなのかと思った。



 時成の後ろ盾があってか、楓の暮らしは少しだけ変わった。


 ある日を境に、牢の格子が開かれ、庭に出ることが許された。とはいえ、使用人の目が光っており、自由に動けるわけではない。だが、空の広がる場所に出られるだけで、息がしやすくなった。


 庭に出れば、時成が待っていてくれた。


 手鞠を投げ合い、ときには水を掛け合って笑った。屋敷の片隅で、二人だけの時間が流れていた。


 「兄上は、なんで私に優しくするの」


 あるとき、楓が尋ねると、時成は少しだけ考えこんでから、言った。


 「呪われた子だとか、妖がどうだとか、そんな話は僕には関係ない。僕は、楓くんが泣いてたから声をかけたんだよ」


 「……泣いてなど、いなかった」


 「ふふ。そうだったっけ」


 その日もまた、風が気持ちよかった。



 転機は突然だった。


 一年ほど経った後。いつものように庭に出ようとすると、牢の外に、見慣れぬ男たちがいた。彼らは無言で楓の両手を縛り、黙って引きずり出した。


 「……っ」


 抗うことはできなかった。まだ身体の小さな楓に、為す術はない。


 連れていかれた先には、竹柵の向こうに、もう一人――兄の姿があった。


 時成は縛られ、地に膝をついていた。


 「……兄上?」


 「……楓くん…」


 その目は暗く、口元は噛み締められていた。


 「どうして君まで…」


 「うるさい」


 柏木家の家人が言い放つ。


 「呪われた子に肩入れするとは、貴様もまた呪われた。柏木の血を、これ以上汚すわけにはいかん」


 楓の目が、見開かれた。


 刹那、刀が振り下ろされる。


 「――っ」


 血飛沫。首が落ち、時成の身体が崩れた。


 誰かが笑った。


 「また子を作らねばな。今度こそ“まとも”な子をな」


 父だった。


 その言葉に、楓の中で何かが崩れた。



 気づけば、屋敷の灯は全て消え、音もなく、人がいなくなっていた。


 呼吸をしていたのは――ただ一人。


 楓だけだった。



 その夜、満月が照らす焼け跡に、少年は一人立っていた。

 片目に赤黒い光を宿し、まだ幼さの残る顔で、血に染まった刀を手に。


 風が吹いた。

 静寂のなか、死の香りが漂っていた。


 世界でただひとつの、自分だけの秋。


 そこから先の人生が、どこへ向かうかなど、楓にはまだ知る由もなかった。


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