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室町異聞  作者: 辻桃
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始まりの場所


 双子に別れを告げ、また歩いた。

 林を抜けた先、風の通り道のようにぽっかりと開けた土地に、それはあった。


 古びた家。屋根の端が崩れかけ、軒下の草は伸び放題。だが、不思議と空気は澄んでいる。風が、昔と同じ音を立てて草を揺らしていた。


 結はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 (懐かしい……)


 幼い頃に暮らしていた、縁との家。


 あの優しくて、たくさんのことを教えてくれた姉。料理の仕方、草の名前、夜の星の数え方。寒い日は薪をくべ、暑い日は水を汲み合いながら笑った。よく笑う人だった。


 (……でも)


 最後に見た姉の顔は、笑っていなかった。



 今思えば、姉が殺されたのは流れとしては普通だったかもしれない。


 楓と行動して分かった。

 隠密やら武士やら軍やら、一般人とは違う仕事をしてる者にとって、殺し殺されは当然だからだ。


 縁の死を結が見つけたのは、夜が明ける前だった。


 布団の、すぐ横の温もりが無くて。

 厠にでも行ったのかと戸を開いた瞬間、

 血の匂いが風に乗り、薄闇の中で冷たく横たわる縁の姿があった。


 その時はまだ生きていた。

 ゆい、と蚊の鳴くような声が鼓膜に響いたのを覚えてる。


 「…お、お姉ちゃん。なんで、え、なんで、こんな…」


 すぐに駆け寄って、その血だらけの身体に触れた。

 姉の側には、これもまた血のついた刀が落ちていた。


 「……生きて、ね」


 「え…」


 「…人が、くるから。楓って名前の、お姉ちゃんの、頼れる人…」


 「しゃ、喋っちゃだめだよ。いま包帯持ってくるからっ…」


 立ちあがろうとした瞬間、弱々しく裾を掴まれた。

 縁は続けた。


 「その人に、着いていって…もっと生きて…。どうか、生きて…」


 そこから言葉が続くことはなかった。


 声が出なかった。震える手で触れても、目の前の体はもう動かなくて。

 涙も出なかった。ただ、茫然と座り込んでいた。 


 ――辺りが明るくなって来たとき。

 縁の身体が硬くなり、ただそれを肌で感じるしかなかったとき。


 「君が、結ちゃんだね」


 背後から、柔らかな声がした。


 振り返ると、眼帯をした男が立っていた。


 その人影は、不思議と温かかった。手が血だらけの結を見ても、縁の死体を見ても、怖がりもせず、眉一つ動かさずにこう言った。


 「縁くんに頼まれた。君を育ててほしいと。一緒に来てくれるかい?」


 結は頷いた。

 何も語れぬまま、ただその言葉に縋った。



 風が吹いた。


 現在に引き戻される。


 結はそっと草を分けて、家の敷居をまたぐ。床は腐っていたが、まだ形は残っていた。縁と一緒に寝ていた布団の位置、火を焚いた場所、薬草を干していた棚――何もかもが、時間の膜を通して記憶に呼び戻される。


 結はゆっくりと歩いた。


 ふと、何かを思い出す。


 (そういえば、私――)


 あの日、寝る前に、花を作ったのだ。

 紙で折った、小さな白い花。縁に内緒であげようとして、間に合わなかった。


 (どこに置いたっけ)


 探すように、家の奥を見まわす。すると、ひときわ風の強く吹き込む板戸が目に入った。


 倉庫。


 小さな納屋のようなその建物は、家の裏手にある。薬草や壺、木材などを保管していた場所だ。


 結は迷いなくそちらへ向かった。



 戸口に立った瞬間、風の音がぴたりと止んだ。


 静かすぎる。


 蝉の声も、鳥の声も、何もかもが消えたような――重く沈む空気が、倉庫の中から漏れていた。


 結は一歩、足を踏み出した。


 (この気配……まさか)


 扉を開くと、冷たい闇が押し寄せる。埃の匂いの奥に、血と火薬のような匂いが混じっている。


 そして、そこに――人影があった。


 蝋の灯りが光る中、ぼんやりと浮かぶその背中。


 青紫の衣、黒い髪。片目を覆っていたはずの眼帯は外され、地面に落ちている。


 「……師匠?」


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