始まりの場所
双子に別れを告げ、また歩いた。
林を抜けた先、風の通り道のようにぽっかりと開けた土地に、それはあった。
古びた家。屋根の端が崩れかけ、軒下の草は伸び放題。だが、不思議と空気は澄んでいる。風が、昔と同じ音を立てて草を揺らしていた。
結はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
(懐かしい……)
幼い頃に暮らしていた、縁との家。
あの優しくて、たくさんのことを教えてくれた姉。料理の仕方、草の名前、夜の星の数え方。寒い日は薪をくべ、暑い日は水を汲み合いながら笑った。よく笑う人だった。
(……でも)
最後に見た姉の顔は、笑っていなかった。
◇
今思えば、姉が殺されたのは流れとしては普通だったかもしれない。
楓と行動して分かった。
隠密やら武士やら軍やら、一般人とは違う仕事をしてる者にとって、殺し殺されは当然だからだ。
縁の死を結が見つけたのは、夜が明ける前だった。
布団の、すぐ横の温もりが無くて。
厠にでも行ったのかと戸を開いた瞬間、
血の匂いが風に乗り、薄闇の中で冷たく横たわる縁の姿があった。
その時はまだ生きていた。
ゆい、と蚊の鳴くような声が鼓膜に響いたのを覚えてる。
「…お、お姉ちゃん。なんで、え、なんで、こんな…」
すぐに駆け寄って、その血だらけの身体に触れた。
姉の側には、これもまた血のついた刀が落ちていた。
「……生きて、ね」
「え…」
「…人が、くるから。楓って名前の、お姉ちゃんの、頼れる人…」
「しゃ、喋っちゃだめだよ。いま包帯持ってくるからっ…」
立ちあがろうとした瞬間、弱々しく裾を掴まれた。
縁は続けた。
「その人に、着いていって…もっと生きて…。どうか、生きて…」
そこから言葉が続くことはなかった。
声が出なかった。震える手で触れても、目の前の体はもう動かなくて。
涙も出なかった。ただ、茫然と座り込んでいた。
――辺りが明るくなって来たとき。
縁の身体が硬くなり、ただそれを肌で感じるしかなかったとき。
「君が、結ちゃんだね」
背後から、柔らかな声がした。
振り返ると、眼帯をした男が立っていた。
その人影は、不思議と温かかった。手が血だらけの結を見ても、縁の死体を見ても、怖がりもせず、眉一つ動かさずにこう言った。
「縁くんに頼まれた。君を育ててほしいと。一緒に来てくれるかい?」
結は頷いた。
何も語れぬまま、ただその言葉に縋った。
◇
風が吹いた。
現在に引き戻される。
結はそっと草を分けて、家の敷居をまたぐ。床は腐っていたが、まだ形は残っていた。縁と一緒に寝ていた布団の位置、火を焚いた場所、薬草を干していた棚――何もかもが、時間の膜を通して記憶に呼び戻される。
結はゆっくりと歩いた。
ふと、何かを思い出す。
(そういえば、私――)
あの日、寝る前に、花を作ったのだ。
紙で折った、小さな白い花。縁に内緒であげようとして、間に合わなかった。
(どこに置いたっけ)
探すように、家の奥を見まわす。すると、ひときわ風の強く吹き込む板戸が目に入った。
倉庫。
小さな納屋のようなその建物は、家の裏手にある。薬草や壺、木材などを保管していた場所だ。
結は迷いなくそちらへ向かった。
◇
戸口に立った瞬間、風の音がぴたりと止んだ。
静かすぎる。
蝉の声も、鳥の声も、何もかもが消えたような――重く沈む空気が、倉庫の中から漏れていた。
結は一歩、足を踏み出した。
(この気配……まさか)
扉を開くと、冷たい闇が押し寄せる。埃の匂いの奥に、血と火薬のような匂いが混じっている。
そして、そこに――人影があった。
蝋の灯りが光る中、ぼんやりと浮かぶその背中。
青紫の衣、黒い髪。片目を覆っていたはずの眼帯は外され、地面に落ちている。
「……師匠?」




