戻り道にて 参
随分歩いた。
風が木々の間を吹き抜け、蝉の声が遠くで微かに響く。道端には小さな花が咲いており、足元を彩っていた。陽は傾きはじめ、空の青が少しずつ琥珀に染まり始めている。
――紅音との会話が、頭を離れなかった。
「私だったら“思い出の場所”に行くわ」
思い出の場所。師匠にとっての。
(……そんなの、知らない)
結は唇を噛んだ。ずっと一緒に居たのに、何も知らない。自分のことはのらりくらりと躱して、どこか人じゃない雰囲気を纏っていた師匠。
(“思い出”なんて、そもそもあるの?)
悩みながら歩き続け、日が沈む前にたどり着いたのは、峠の中腹にある小さな宿だった。
◇
がらりと戸を開けると、香ばしい煎餅の匂いが漂ってきた。中は思いのほか賑やかで、数人の旅人たちが卓を囲んでいる。夕食どきらしい。
結が宿の者に名前を告げて部屋をとると、奥の座敷からどこか聞き覚えのある声が響いた。
「おい鳶、布団を2枚敷くなって言ってんの」
「えー?じゃあ一枚敷いて、2人でくっついて寝ようか?」
「あ、それ良いね」
そのやりとりに、結はぴたりと足を止めた。
まさか、と思って襖をそっと開ける。
「……烏。鳶」
「「あっ」」
双子が同時に顔を上げ、ぱっと笑顔になった。
「わあ、結ちゃん!」
「びっくりしたー!まさかここで会うとはねぇ」
烏と鳶――どちらがどちらなのかは未だによく分からない。そっくりな顔で、そっくりな笑い方をする。だが、言葉の端にふと混じる影のようなものが、彼らがただの陽気な旅人ではないことを示していた。
「……なにしてるの」
結は戸口に立ったまま訊いた。
「なにって、旅の途中でしょ?最近あんまり面白い依頼もないしねー、ふらっと来てふらっと泊まったら、君が来た。運命?」
「偶然ってすごいよねえ。楓さんは?」
「……いません。置いていかれました」
「……へぇ」
双子の笑顔が少しだけやわらぐ。気づいたのか気づかないのか、結は俯いたまま言った。
結は詳細を語らなかった。語ってしまったら、この2人が着いてくると思ったからだ。
「……“思い出の場所”に行る、かもしれないって言われて。そこがどこか探してて、ここに来た」
「思い出の場所?」
「2人だったら、思い出の場所はどこ?」
双子は顔を見合わせた。
「うーん。僕らだったら……あの山の中かな」
「山?」
「うん。楓さんと出会ったあの場所」
「返り血を浴びて、まだ長かった髪を揺らしていた楓さんがかっこよくて、ずっと覚えてる」
懐かしそうに、けれどどこか寂しげに話す二人。
結はふいに胸が詰まった。そうだ、そんなことを、聞いたことがある。暗い森、盗賊、幼い頃の話――
「結ちゃんは、どこで楓さんと出会ったの?」
「……!」
思わず、拳を握った。
“師匠に出会った場所”――それは、結が縁と暮らしていた家。
縁が死んだあの日、楓が迎えに来たんだ。
『縁くんに頼まれた。君を育ててほしいと。一緒に来てくれるかい?』
姉の血を手に滲ませていた私に向かって、師匠はそう言ったのだ。
(思い出の場所……)
胸の奥がきゅっと熱くなる。
「ありがとう」
「ん?」
「教えてくれて」
「……ふふっ、いいよ。だって、君が探してるの、あの人なんでしょ?」
「そ。あの人の“戻る場所”がどこか、僕たちだって気になるし」
「……戻る場所」
結はつぶやいた。
あの山奥の小さな家。風がよく通って、朝は鳥の声で目が覚める。楓が結に封印術を教え、火の扱い方を教え、時には一緒に魚を焼いて食べた――そんな日々。
あれは、たしかに思い出だった。
(師匠にとっても、私にとっても)
「行ってみようと思う。明日にでも」
「お、良い行動力」
「僕らも行きたーい!」
「それはダメ」
「ケチ」
不貞腐れる鳶を置いて部屋を後にした。
次の目的地は、“始まりの場所”。
結と楓の、それぞれの記憶が交わった場所へ――。




