狐火と首無し地蔵
日が沈む頃、二人は峠道の茶屋に腰を下ろしていた。
湯気の立つお茶をすすりながら、結は目を細める。
「……このお団子、美味しそう」
「買えばいい。今日くらいはほら、平和だし」
楓はのんびりと湯呑を口に運ぶ。眼帯の奥は読めないが、その声はいつも通り穏やかだった。
団子を一串口に運んだ結は、少しだけ頬を緩めた。
「甘さがちょうど……」
その時、茶屋の亭主が言った。
「おふたり、今日はどちらまで?」
「下の集落、“夕影村”まで降りるつもりです」
「夕影村……あんたら、知らんのか。あそこは近ごろ“首無し地蔵”が出ると、もっぱらの噂でねぇ」
結の手が止まる。
「首無し、ですか」
「ええ、夜になると村の入口にある地蔵の首が消えちまって、代わりに狐火が舞うんだと。最近じゃ村人も外に出たがらねぇ。山から戻らぬ者もおってな」
「それは依頼になりそうだ」
楓が茶を飲み干し、立ち上がる。
「行こうか、結。地蔵が消える話なんて、仏と妖が混ざった厄介な香りがする」
結は少ししょんぼりし、でもすぐに静かにうなずいた。
「……団子は、また後日ですね」
◇
夕影村にたどり着いたのは、宵の口だった。
村は静まり返っており、灯りはほとんど消されていた。だが、遠くにほのかに揺れる青白い火が見える。
「狐火ですね」
「違う、“呼ばれてる”火だ」
楓は歩みを止めた。「結、あれに近づくな」
結が足を止めたその先、村の入口――小さな祠に、地蔵が三体並んでいる。だがその真ん中の一体、首が無くなっていた。
代わりに、空中に火の玉が浮いている。
「……地蔵の首と引き換えに、“何か”が現れてる。人の想念か、それとも……」
その時、火の玉がふいに人の形を取った。
子どものような背丈、白い着物、顔だけがなかった。
「――首を、返して……」
それは、か細くも確かに、声を出した。
その直後、背後の茂みから何かが走る音がした。
結が即座に振り返り、刀を抜く。
「右側、二体。動きが速い!」
影のような何かが地面を這うように走り、結に飛びかかる。
刀が一閃し、一体は霧のように散った。
もう一体は札を投げて動きを止める。
「師匠、数が読めません!」
「多分、あの“火”が呼んでる。中心を叩けば……!」
楓が地蔵へ駆け寄り、懐から札を取り出した。
結もすかさず飛び込む。地蔵の台座に、黒い爪跡のような呪が浮かんでいるのを見つける。
「これは……封じ札を剥がされた痕跡」
「何者かが、意図的に解いたんだ」
楓は札に血を滲ませ、詠唱する。
「天地を鎮め、霊を定め、魂を導く――封!」
封印の札が地蔵の台座に貼り付けられた瞬間、狐火が叫びを上げる。
「かえして……あたしの、くびを……!」
次の瞬間、火が爆ぜて消えた。風が止まり、闇が戻る。
残されたのは、三体の地蔵。そしてその中央に、首が戻っていた。
◇
翌朝。
村の長老が頭を下げた。
「地蔵様の首が戻っておる……。昨夜の狐火も、今朝には跡形もなし……。お二人には感謝の言葉もございません」
「地蔵に“首を奪われた子供”の霊が取り憑いていました。村の誰かが、昔、地蔵を壊したことは?」
楓の問いに、長老はゆっくりとうなずいた。
「……かつてこの村で、ひとりの子が、飢えのあまり地蔵に食べ物を投げつけて……。その後、川で溺れて命を落としたと聞きます。以来、地蔵の首が時折落ちていたのも……その子のせい、かもしれません」
「その子、最後は“返して”とだけ言っていました」
結は、静かに空を見上げた。「たぶん、自分の居場所を、ね」
◇
帰り道、結は大きな荷物を抱えていた。
「…まさか、長老からのお礼で団子を要求するとは。
しかも50本。」
「なんでもいい、いくらでもいいって申し出たのは向こうですよ」
ふたりの旅は、今日も続く。
斬るためではなく、迷える者を導くために。