戻り道にて 弍
陸に降り、何日か歩いていると、花街に出た。
通りには紅や金の布がひるがえり、どこからか鼓や笛の音が聞こえる。夕暮れの空を背に、艶やかな衣装をまとった女たちが行き交い、笑い声が町角に残っていく。
――桜影。
そこは、かつて楓と共に訪れた場所だった。何の依頼だったか、詳細はもう朧げだが、喧噪と香の匂いだけは記憶に残っている。
結は、この街のとある店に足を向けていた。
店に入ると、髪を団子にしてまとめた少女が応えた。
「すみません、どなた様で……え、結さん?」
千早だった。
「……紅音さんに会わせてほしい」
「お紅さんに?あの人、今忙しくって…」
「あら、問題無いわよ?」
紅音が顔を出した。
その美しさは相変わらず、何もかもが舞台のようだった。
「今日はおひとり?それとも迷い込んじゃった?」
紅音は結を見つめた。その眼差しは、どこか退屈そうでいて、同時に何かを探るようでもあった。
「迷い込んだ、というより…探してました」
結がそう返すと、紅音は目を細め、ゆっくりと扇を閉じた。
「へえ。じゃあ、誰を探してたのかしら」
「――師匠です。楓を、知りませんか」
その名を出した瞬間、紅音の唇がかすかに笑みにゆるんだ。
「…あら、遂に消えてしまったのね。なんで私のところに来てくれたの?」
「あなたが何か知ってるかと思いまして。師匠の居場所を知りませんか」
「残念ながらまったく。あの男は何年経っても読めやしない」
紅音が千早の横に来た。
艶やかな振袖が揺れ、扇の骨が小さな音を立てる。
「私だったら…そうね。思い出の場所に行くわ」
「思い出の場所…?」
結が眉を寄せると、紅音は微笑んで言った。
「誰かとの縁が始まった場所。あるいは、終わりを覚悟した場所。人によって違うけど、誰の中にも、そういう場所はあるわ。きっと、あの眼帯の中にもね」
夕日が、紅音の横顔を照らす。
その頬に微かな影が差し、声だけが静かに残る。
「でも…気をつけて」
「……え?」
「楓のことは何も知らないわ。でも、“良い男”ではないことは確かよ。もしかしたら、あなたが壊れるかも」
結は、答えられなかった。
静かな風が吹き抜ける。扇がまた、音を立てて開かれる。
「それでも行くというなら――お見送りくらいは、してあげる」
紅音はそう言って、微笑んでみせた。
千早も続けて言った。
「な、何の事かはさっぱり分かりませんが…。結さん、怪我しないでくださいね」
結は口を引き結び、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。……行ってきます」
「気をつけて、結ちゃん」
扇の向こう、紅音の声は優しげだった。
けれど――やはりどこか、空っぽなようにも聞こえた。
◇
宿へ戻る途中、結は思い返していた。
思い出の場所――それは、どこなのだろう。
師匠が誰かと出会い、何かを得た場所。あるいは何かを失った場所。
それを知るには、もっと昔の記憶を辿る必要がある。
そしてこのとき、結はまだ気づいていなかった。
“彼”と“自分”の縁が始まった場所が、実は、すごく近かったことに。




