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室町異聞  作者: 辻桃
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戻り道にて

 宿の一室。夕暮れが障子を赤く染める。

 結は状況が処理できずにいた。


 “ここからは連れていけない。”

 どうして、そんないきなり。


 「…だめだ、冷静にならないと」

 

 焦りは禁物。楓がいつも言ってた言葉である。


 もう一枚の紙を開いてみた。

 白紙のまま、何の文言も記されていない。


 (…なんで、白紙?)


 結はそっとそれを持ち上げた。手触りは普通の和紙。墨の匂いもない。光に透かしても、何も浮かばない。だが――


 「……あれ」


 ふ、と鼻先をかすめた微かな香り。どこか懐かしいような、けれど日常では嗅ぐことのない、淡い柑橘の匂い。


 (まさか――)


 宿の囲炉裏にはまだ火が残っていた。結はそっと紙を火にかざす。直接触れぬよう距離をとり、じわりじわりと熱を与える。


 しばらくして。


 「……出た」


 和紙の表面に、浮かぶようにして現れた文字。


 “言い忘れたことがあるなら、来た道を歩いてみなさい。時間はまだ残ってる。“


 思わず紙を強く握ってしまいそうになり、慌てて手を緩める。結はじっと文を見つめた。


 (…言い忘れ、というより、聞きたいことが山ほどある)


 結は少し悩んだあと、決めた。


 「……行こう」


 立ち上がり、文を懐に仕舞った。刀の重みを腰に感じながら、結は扉を開ける。


 旅を振り返る。楓に会うために。





 木漏れ日揺れる山道を抜け、結は宿を出た。


 あの宿に来る前に通ったのは海辺。確か、魚を取って食べた。

 その前はずっと道に沿って、結構進んだところで烏たちに会って。

 また浜に出て、そこの前の花街で紅音たちに会って…。


 そこで、波の音がした。潮の香り。風に混じる海鳥の鳴き声。


 そこは、広々とした浜辺だった。


 「…いつのまに」


 考えながら歩いていたからか、すぐに着いた。身体が引かれるように足を進める。


 海岸には何艘もの小舟が引き上げられており、数人の男たちが船体の手入れや網の修繕をしていた。その中に、ひときわ声の大きい男がいた。


 「ったく、もう少し丁寧に縫えっつってんだろ!波に呑まれたらどうすんだ!」


 がなり声とともに笑いが響く。その男がふとこちらを見て、目を見開いた。


 「おい、あれ……結じゃねえか?」


 その声に、結も顔を上げた。


 日焼けした肌。鍛えられた腕。朗らかな笑顔に、どこか懐かしさが混じっている。

 見覚えがある。


 「……隼さん?」


 「やっぱりおまえか!おーい!」


 手を振りながら駆け寄ってくるその男は、水軍の頭首・鷹津 隼。

 そういえば、前に彼の依頼を受けた。


 「…完全に忘れてた」


 「ひでぇなおい、久々の再会だってのに」


 「なんでこんな所に…」


 「食料調達のために陸に上がったんだ。1人か?楓は?」


 その名を出された瞬間、結の胸に不安が波打った。


 「……師匠を、見ませんでしたか?」


 声が、自然と沈む。


 隼はきょとんとした顔をしたあと、腕を組んだ。


 「いや?さっき上がったばっかだし…なんだ、逸れたのか?」


 「そうではなくて」


 これまでの経緯を話した。

 隼は言葉にもならなかったらしく、黙って聞いていた。


 「来た道を戻れ、とあったので今戻っていってます。心当たりはありませんか」


 「心当たり…心当たりかぁ。あいつはすぐ現れて消える奴だからな、どうにも…」


 そこまで言って、隼は気づいた。


 「そういや昔言ってたな。海は証拠を全部流してくれるって」


 「……はい。はい?」


 「いや、っていうのはな。わざわざその言葉を残してるなら、結ちゃんのために何か印くらいつけてるだろ?だったら海の近くには無いんじゃないか?」


隼の言葉に、結は目を瞬いた。


 「……印を、つけている?」


 「印っつうか、痕跡?跡?あいつ、そういうところは律儀だからな。何も言わずに消えるように見えて、実際は色々準備してやがる」


 「師匠らしいですね……」


 思わずこぼれた言葉に、隼は「だろ?」と笑った。


 「で、結ちゃん。戻るって言っても、どこまで戻るつもりなんだ?」


 「……師匠と、出会ったところまで


 「ずいぶん遠くまで来たんだな」


 「はい。でも、戻らなきゃいけない気がするんです。あの文に書いてあったから…じゃなくて、多分、私自身が、戻らなきゃって思ったんです」


 その言葉に、隼の目が細まる。


 「……まだ小さいのに、立派なもんだなあ」


 「小さくないです」


 「小さい小さい。俺の背の半分じゃねぇか」


 軽口を叩きながらも、隼はすぐに真面目な表情に戻る。


 「じゃあ、船で少し送ってやるよ。沿岸までならすぐだ。そこから陸路に戻れば、だいぶ時間が節約できる」


 「……いいんですか?」


 「そりゃあな。楓の弟子だもんで、貸しの一つくらい返してもらわなきゃ困る」


 「ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、隼はくしゃりと笑いながら肩を叩いた。


 「それにしても、“言い忘れたことがあるなら”か。あいつがそんな言い回しするなんて珍しいな」


 「……ですよね。なんだか、言い残してるのは私のほうみたいです」


 言ってから、結は自分の言葉に驚いた。思わず本音が漏れたような気がして、少しだけ目を逸らす。


 隼はそれを咎めることもなく、「よし」と大声を張り上げて部下を呼んだ。


 「ちょいと船、出すぞー! 港町の方へ送る!」


 「はいよ、親方!」


 漁師たちが船を動かし始める。音もなく水を割る小舟は、海に浮かぶと静かに揺れていた。


 「じゃ、乗れ。しっかり掴まってろよ」


 結は頷き、船に足をかける。

 波が穏やかに岸を洗っている。


 空はもう、夕暮れを深く濃く染め始めていた。


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