表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
室町異聞  作者: 辻桃
37/46

結、ひとり

 日が傾く山道を、結はひとり歩いていた。


 風が頬をかすめ、揺れる木々の隙間から射す光が道をまだらに染めている。手に握られた文には、たった一文――「来てほしい。内容は会ってから話す」とだけあった。


 「差出人は、もうこの世の人じゃないらしいけどね」


 朝、出立の際に楓が言ったその言葉を、結は何度も思い出していた。柔らかく笑う楓の顔。いつも通りで、何ひとつ変わらない、どこか不自然なほど平然とした笑顔。


 「あなたは来ないんですか」と尋ねると、楓は肩をすくめて言った。


 「これは君に任せる。たまには一人で動くのもいい経験になるだろう?」


 そして背を押されるように、結は旅に出たのだった。



 その村は、山の奥にひっそりと佇んでいた。


 古びた茅葺きの家々が並び、細い道を行き交うのは年配者ばかり。子供の姿はない。村人たちはどこか怯えたような目をしていたが、結が訪ねてきたと知るとすぐに村長に取り次いでくれた。


 村長の家で語られたのは、奇妙な話だった。


「この文の差出人の名は、数年前に亡くなった男です」


「……亡くなっているのに、どうして文を?」


 村長は首を振り、重たげに言葉を続けた。


「死の間際、その男はこう言ったのです。『まだ村に紛れている。あれは人ではない、見つけて退治してくれ』と」


 結は黙って聞いていた。村のどこかに、人間の皮を被った妖がいる。その男は生きているうちに気づき、死の直前にそれを伝えようとしたのだ。


(師匠は…最初からこのことを知っていた?)


 文の真意は「妖の正体を見抜け」という試練だったのかもしれない。



 村を歩く。


 畑を耕す者、炊事に精を出す者、物陰からこちらを伺う者……。


 誰もが普通で、誰もが不自然だった。


 そんな中、一人の老婆に声をかけられた。


「お疲れでしょう。お茶でもどう?」


 腰を曲げた小柄な女。皺だらけの顔はどこか柔らかく、目元に優しげな光を湛えていた。


 警戒を抱きつつも、結は頷いた。



 古い家の中、薬草の匂いが鼻をくすぐる。


「まあまあ、遠慮せずに。これでも温かいのが取り柄でね」


 差し出された湯呑を受け取る。口はつけない。


「一人旅とは勇ましい。あなた、あの眼帯の男と一緒にいる子かい?」


 湯呑を持つ手がぴたりと止まった。

 なぜ師匠のことを知っている?


「……ええ、そうですが」


「ふふ、やっぱりねぇ。あの野郎が来ると思ってたのに、来たのは小娘か」


 老婆の目が、色を変えた。黒く、深く、爛れて、光を飲むような瞳。


「…あなたが、妖?」


「昔ね、あの眼帯の奴に封じられそうになったんだ。返り討ちにしてやろうと思ってたのに、弟子を寄越すなんてね……腰抜けたよ!」


 肉が裂ける音がした。


 老婆の姿がぐにゃりと崩れ、獣のような骨の突起を生やした姿に変わった。口が裂け、爪が伸びる。


「アンタで我慢してやるわ!」



 二刀を抜いた。


 刃が火鉢を蹴り飛ばし、結は狭い空間の中で距離を測る。


(落ち着け、見極めろ。相手の芯を――)


 初手は速かった。


 妖の腕が飛び込んでくるが、躱し、斬る。浅い。肩を裂かれるが、痛みに飲まれず、再度踏み込む。


 腕を振り上げ、結の三つ編みが揺れた。


「簡単にやられるわけには……っ!」


 一閃。


 妖が悲鳴を上げ、黒煙を撒いて消えた。


 静けさが戻る。

 結は息を吐き、剣を納めた。



 村長に報告すると、涙を浮かべながら感謝された。

 これでもう安心できる、と。


 倒れこまずに立っていられた自分に、結はほんの少しの自信を抱いた。


 でも、楓が狙われていたのは事実。

 結はそれがどうしても引っかかっていた。


 (…なぜ、師匠が狙われていたんだろう)




 急足で楓の待つ宿へ向かう。


 ――しかし、そこに楓の姿はなかった。


「眼帯の男の方なら、もう帰られましたよ。これを預かっています」


 女将から差し出されたのは、二枚の紙だった。

 結は一枚目を開いた。


「……え、」


 一枚目には、たった一行だけ。




 ”ここからは、連れていけない“

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ