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室町異聞  作者: 辻桃
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届かぬ背

風が、静かに草を撫でていく。


林の中、木洩れ陽がゆらゆらと揺れ、遠くで鳥の囀りが響いていた。ここ数日は依頼もなく、楓と結はのんびりとした旅の途中。近くの宿場町まであと半日という道のりを前に、今日は小さな林のそばで腰を落ち着けていた。


「……師匠」


ぽつりと結が口を開いたのは、焚き火の準備も終わり、昼餉までまだ少し間がある頃だった。二刀を膝に置きながら、結は真っ直ぐに楓を見つめる。


「久々に、相手をしてくれませんか」


楓は湯を啜っていたが、手を止めて結を見やる。


「えぇ〜、汗かきたくないなぁ。せっかくの昼下がりに」


「自分の実力を試してみたいです」


「……そこまで言うなら、まぁいいか。ただし、本刀はやめようね」


そう言って楓が取り出したのは二本の竹刀だった。持ち手はしっかり巻かれ、よく手入れされている。まるで、いつでも模擬戦ができるように準備していたかのように。


結は(どこから取り出したんだ)と思いながらで竹刀を受け取る。


互いに間合いを取り、林の中に静けさが戻る。風が吹き、草が揺れ、楓と結の視線が交錯した。


「始めようか」


楓のその一言を合図に、結が一気に踏み込んだ。



結の動きは鋭かった。二刀を自在に操り、右で攻め、左で牽制し、また攻める。木々の間を縫うように滑り込み、斬撃を繰り出す。


だが──楓の動きは、それを上回っていた。


片手の竹刀で、軽く受け流し、時折足をすくうように軽く小突く。まるで、ままごとの延長のように。彼の表情は涼しげで、まるで退屈しのぎのようだった。


「こらこら、勢い任せはだめだよ」


「……っ、分かってます!」


結が低く声を出す。


汗が額を伝い、息が少しずつ上がっていく。だが、楓は一向に乱れない。まるで最初から、結を相手にしていないかのように。


──カッ。


結の竹刀が弾かれ、空中を舞った。


「一本、かな」


「……もう一回!」


拾い上げた竹刀を握り直し、結が再び立ち上がる。



三度、四度。


結は何度も挑み、楓は何度も受け流した。地面には踏みしめた跡が交差し、二人の周囲の草は踏み潰されていた。


「終わりだ、結。これ以上は無駄に疲れるだけだ」


「……やだ」


「やだ、は通らない」


「じゃあ……!」


結が叫ぶように踏み込んだ。


「本気で、斬ってきてください!!」


竹刀が真っ直ぐ、楓の胸元へ飛ぶ。その一撃に迷いはなかった。技も気迫も、すでに十分な水準に達していた。


だが──。


ヒュ、と風を切る音の直後。


ゴッ、と鈍い音が響く。


──次の瞬間には、結の竹刀はまたも空を舞い、結の動きは完全に止められていた。


彼女の額に、竹刀の柄がそっと触れていた。楓は表情を変えず、そのまま一言。


「…手にマメが出来てるぞ。終わりだ」


結は、口を噤んだ。


「……」


呼吸は荒れ、腕は震え、全身が汗に濡れていた。けれど楓は、ほとんど動いていなかった。


負けた。完膚なきまでに。


「……はい」


静かに、結はもう片方の竹刀を下ろした。



それから少しして、地面に腰を下ろしていた二人。風はやや強まり、枝葉がざわめいていた。楓は水を一口飲んで、ぽつりと呟いた。


「精進しなさいね」


「……はい」


その返事は、先ほどよりも静かだった。


結は口を開きかけて、ふと問いを漏らした。


「…なんで私は二刀で、師匠は一刀なんですか」


楓は小さく笑った。


「二刀は守りと攻めが同時にこなせるからね。お前にはちょうど良いだろう。私は怪我しないからね。守る必要がない」


「……そういえば、師匠が怪我してるの、見たことないですね」


「ないさ。だって私は強いから」


冗談めかして言って、立ち上がる楓。腰の竹刀を仕舞いながら、結に向かってぽつりと言った。


「でも、昔よりはキレが良くなってるね。さすが私」


「……弟子を褒めるところでしょう、それ」


「褒めてるじゃないか。私の指導力を」


「…師匠は昔から変わらずで何よりです」


結は呆れながらも、どこか少し嬉しそうだった。


届かないと思った背中は、確かにまだ遠い。けれど、少しだけ近づいている──その実感が、彼女の胸に、じわりと温かく灯っていた。


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