表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
室町異聞  作者: 辻桃
33/46

母のフリをするもの

「ねえ、母さん。明日も遊ぼうね」


「もちろんよ」


女の声は柔らかく微笑み、少女の髪を撫でる。その手は確かに温かく、呼吸をして、香りがした。


けれども、あの“母親”は――すでに死んでいた。



山里の小さな村へ向かう道中、楓と結は、ある青年に呼び止められた。旅人風の格好をした、二十代前半の青年だった。


「すみません、あんたら、妖の退治とかできる方ですか」


「まあ、できないこともない。何か御用で?」


楓が穏やかに返すと、青年はどこか焦りをにじませながら言った。


「――“あれ”は、きっと人間じゃないんです。だけど、みんな、何も言わない。むしろ、歓迎してるんだ」


話によれば、村に暮らす少女の母親が数か月前に病で亡くなった。葬式も終え、墓まで作られたという。だが、半月ほど前、突如“その母親”が戻ってきた。村人たちは誰一人それを怪しまなかったが、彼だけが違和感を拭えずにいた。


「娘の笑顔を見てると、無理に壊すのもどうかと思って……でも、何かがおかしい。俺には、あの女が“人間”には見えないんです」


結は青年の話を聞きながら、ちらりと楓を見た。


「師匠。どう思います?」


「聞く限りだと、典型的な“入れ替わり”に思えるが…村全員がそれを受け入れているとなると、何か別の可能性も考慮した方がいいね」


そう言って、2人は青年に案内され、村へ向かうこととなった。



その村は、ごく普通の、山に囲まれた静かな集落だった。


だが、そこに暮らす人々の“空気”には、奇妙な柔らかさがあった。まるで何かを見て見ぬふりしているような……そんな雰囲気。


案内された家の前に着くと、青年は一歩引いた。


「ここです。……見ててください。たぶん、もうすぐ出てくる」


まるで予告通りに、木の引き戸が開き、女が姿を見せた。


――美しかった。


髪を後ろに束ね、淡い色の着物に身を包んだ女性。物腰はやわらかく、にこやかに近づいてくる。


「まあ、旅のお方? お疲れでしょう、よろしければお茶でも――」


「母さん、誰か来たの?」


奥から顔を出したのは、まだあどけなさの残る十歳ほどの少女だった。髪を二つに結い、笑顔を浮かべている。


「こんにちは。私は結、こっちは師匠の楓。ちょっと、この村のことを見て回っててね」


「ふぅん。いいよ。お母さんと遊んでるだけだから」


少女はそう言って、にこりと笑った。その笑顔に、結は思わず目を細める。


けれど、同時に、ひっかかる。


――母親を失った子どもが、あんなに自然に振る舞うだろうか?



日が暮れてから、楓と結は再び青年と会い、密かに家を訪れることにした。


家の灯りの漏れる障子の隙間から覗くと、女は針仕事をしており、少女はその隣で本を読んでいた。


「……本当に、普通の親子に見える」


結が小声で言うと、楓もまた真剣な表情で頷いた。


「でも、やはり何かが不自然だ。あの“母親”の目には、感情の起伏がない。完璧に振る舞いすぎている」


「じゃあ、やっぱり妖?」


楓はしばらく黙ってから言った。


「……いや、“違う”気がしてきた」



夜も更けたころ、少女が眠ったあと、楓と結は女に接触した。


「貴女、どこから来た?」


楓の問いに、女は穏やかに答えた。


「私は、この子の母です。ただ、それだけです」


「貴女は妖だろう?」


問いを重ねても、女は否定も肯定もしなかった。ただ、静かに言った。


「この子が私を望んだから、私はここに在る。それだけのこと」


その瞬間、楓の目が細まった。


「……なるほど。そういうことか」


「師匠、どういうことですか?」


結が尋ねると、楓は結に向き直り、低く言った。


「この女は――“演じさせられている”。娘の想念が強すぎて、妖がそれに引き寄せられ、“母”を演じさせられているんだ」


「……演じさせられてる?」


「そう。本人の意思ではない。誰かの強い“願い”が、妖を縛っている。ある意味では“呪い”に近い」


結は息をのんだ。


「……そんなことができるんですか?」


「人の執念は時として妖をも縛る。それが、この世界の面白いところだよ」


女はそれを聞いても動じなかった。ただ、娘の寝顔を見つめ、静かに微笑んだ。


「私は、この子の母であり続けたい。それがたとえ“ただの願い”であっても…私が私である限り、この子が望んでいる限り、本物でしょう?」


結は、何も言えなかった。



翌朝、少女は目を覚まし、母に手を引かれて外に出てきた。


その背を、楓と結が見送る。


「このままでいいんですか、師匠」


結が問うと、楓は小さく肩をすくめた。


「本人が望み、周囲もそれを受け入れているなら、それが“現実”になる。正しさなんてものは、時に残酷だからね」


結は黙った。


「…納得いかないって顔だね?」


「……私は、あの子が本当の別れに直面したとき、立ち直れない気がします。期待をすればするほど、その時の絶望は大きい」


「いたいげな十の女子に、あれは君の妄想だと伝える勇気があるのかい?」


「…いいえ。それは、無理です」


「だろう?知らぬが仏さ。…今救われているなら、それでいいって事もあるんだよ。何にしろ、私たちが決めることじゃない」


そう言って、楓は歩き出す。

結もまた、迷いながらもその背を追った。


そしてふと思う。


――いつか、あの子がこの“幻”から目覚めたとき、彼女の心が壊れないように。


自分たちがこの世界に関わる意味も、そんなところにあるのかもしれないと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ