名の由来
「…この村、なんか変ですね」
「というと?」
「空気です。こう、村全体がピリピリしてるというか……。特に、あの子に対して」
結が目線を向けた先、畑の隅で一人ぽつんと遊ぶ子供の姿があった。年の頃は八つほど。服は泥だらけで、笑顔すら浮かべていない。
「誰かと遊んでる様子もないし、大人たちもあの子を避けてるみたいでした。名前を聞いたら──“サカリ”って」
楓の手が止まった。
「……サカリ」
「知ってるんですか?」
「いや。ただ、その名にしては妙な重さを感じる」
楓はそっと視線を上げた。夕陽が村の影を長く落とし始めていた。
「……少し、話を聞いてみようか」
◇
畑のそばに腰を下ろすと、子供──サカリは少し警戒しながらこちらを見た。
「こんにちは。私は結。旅の者です。君は──」
「サカリ」
すぐに返ってきた声は、無表情なものだった。
「……君の名前、どうして“サカリ”って言うの?」
一拍置いて、サカリはぽつりと語り出した。
「昔……山の奥で迷子になってたとき、おかっぱ頭のきれいな女の人に会ったんだ。“泣くな、名をやろう”って言って……“これからはサカリだ。盛る、って意味だ。生きろ”って言ってくれた」
「女の人……? それって──」
「それ以来、みんなが僕を避けるようになった。あの人は“妖”だったって、村の人が言ってた。ここら辺に出る、悪いモノなんだって」
結は息を呑んだ。
──妖に名を与えられた子。
この時代、それは畏れと嫌悪の対象だった。
◇
「子供が悪いわけではないんだがの……」
その夜、宿を借りた結と楓は、村の長老と対面していた。
「“サカリ”という名はの……昔、災厄を呼ぶ名じゃとされとった。村の者たちはあの子を、いずれ禍の元になると思うておる。妖の血が混じっておるやもしれんと……」
「けどそれはただの言い伝えでしょう。あの子自身に何の罪もないのに」
結の声は心なしか鋭かった。
だが長老は、ゆっくりと首を横に振った。
「理はそうじゃ。されど、理ではどうにもならんのが、民の恐れよ」
◇
「師匠。私、あの子を連れて行ってもいいですか」
「駄目だ」
結の言葉を、楓は即座に否定した。
「……どうしてですか」
「彼は“サカリ”としてここに生まれた。それを否定してどこかに連れていくのは、名をくれた存在を否定することになる」
「でも」
楓は続けた。
「それでも君がどうしても彼を守りたいなら──“名前の重み”を教えてやれ。結、君の名には何の意味がある?」
結は言葉に詰まった。
「君の姉の名と一式で、縁に結ばれるように、だったか。あるいは、何かを繋ぎとめるためか。だが──意味なんて後からついてくる。大事なのは、背負う覚悟だ」
◇
翌朝、結は再びサカリのもとへ行った。
「……サカリ。君がその名前を気に入ってるなら、それでいい。けど、もし嫌なら……私が別の名前を考えてあげる」
サカリはしばらく黙っていたが、やがてポツリとつぶやいた。
「……気に入ってるよ」
「そっか」
「だって、“盛る”って、強くなるってことなんでしょ? ……僕、強くなりたい。誰にも、嫌われないくらいに」
結はそっと、彼の頭を撫でた。
「なら、頑張ろう。私も、負けないように頑張るからさ」
◇
村を発つとき、サカリは遠くから手を振っていた。
楓はそれを見届けながら、ふと呟いた。
「名前とは、人を縛るものにもなるし、支えるものにもなる。……だが、名に負けなかった者だけが、“名を持つ”に相応しくなるのだよ」
「それって師匠の本名も?」
「私の名は楓だ」
「苗字は何でしょう」
「もう忘れた。代わりに思い出したのは──団子屋がこの先にあるという話だ」
「話逸らしましたね?でも団子なら着いていきます」
ふたりの足音が、村道に残る朝露を踏み鳴らしていった。




