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室町異聞  作者: 辻桃
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嘘の話

「ちょっと、そこのお二人……お願い、助けてほしいの……!」


昼下がりの街道。鳥のさえずりも眠そうに響く頃、女の細い声が結と楓の背後からかかった。


振り向くと、そこには道端の石に腰かけ、顔色の悪い女が一人、風呂敷包みを膝に乗せていた。


「すみません……あの、わたし、身体が弱くて……。この荷物を、とあるお屋敷に届けたいのに、途中までしか行けなくて……」


「師匠、どうします? 」


「…まあ、私たちは善人だしな。どちらまで届ければ?」


「この道をまっすぐ行った先、左手にある屋敷です。『古賀』という家です。名を出せば通じます……。中には、私の親類が…その、大切な薬が入っていて……」


そう言って、女は風呂敷を両手で差し出す。


「でも……ぜったい、開けないでくださいね? とても、とても大事なものなんです」


結が手を伸ばしかけた瞬間、楓がひと言、釘を刺した。


「“大切”で“開けるな”とは、なかなかに都合のいい言葉だな」


「師匠、失礼ですよ」


「じゃあ結、任せた」


「…私だけですか?なぜ?」


「年寄りには荷が重くてね、よろしく」


(…この人、年寄りなのか?いや、見方によっては…)


それでも、結は風呂敷包みを受け取った。軽くはない。中には、木箱のようなものが入っているらしい。


「すぐ戻りますから。師匠、変なことしないでくださいよ!」


「私が? そんなこと、まさか──」


にっこりと笑う楓を背に、結は歩き出した。



女の家は、小さな民家だった。襖越しに茶を出す女の指先は、やや震えている。


「……どうして、私たちにお声を?」


「偶然通った旅の人。それだけです」


「そんな理由では足りないな」


楓の声が静かに落ちる。女の笑みがこわばる。


「……つまり、気づいていたんですね」


「おおかたは。中身は薬ではなく、香のようなものか。あるいは、もっと“気分のよくなる”類いのものだ」


女の手がわずかに動く。だが楓は動じない。


「ここら一帯の空気がね、妙に整いすぎている。仄かに残る匂いも……あれは桂皮と、阿片の煮出しだろう?」


「……詳しいんですね」


「生憎、私の頭は“あらゆる封じられるべきもの”に興味を持っていてね」


女の表情が変わる。油断が、焦燥に変わっていく。


「そうだとして…今さら、どうするの? あの子は、もう向かった。もし失敗すれば──」


「そのときは、誰かが死ぬ。だが、その“誰か”が君でなければいいね」


楓は湯呑を口に運び、淡々と笑った。


「嘘というのはね、脆いものだ。少し火を近づければ、あっけなく破けて燃える。──君の嘘は、特にそうだ」



一方その頃、結は「古賀」の屋敷前で、二人の男に出迎えられていた。


「おお、お届け物か。預かってやろう」


「えっと……ご依頼の方から渡されたものです」


「ああ、わかってる。中身も、確かめなくていいんだろう?」


男たちの目が笑っていない。背丈は結の倍近い。骨も太い。全身が武器のようだ。


(……明らかに、まともな人じゃない)


「なあ、兄貴。こいつ、なかなか顔が整ってるな」


「ほんとだ。品もある。もったいないよな、ただ渡すだけなんて──」


男が結の腕に触れようとした瞬間、もう斬っていた。

結の刃が抜かれ、軌跡を描く。返す刀で男の手を斬り飛ばし、もう一人の首筋へ一閃──


「…だから嫌なんだ、“人間相手”って!」


結は風呂敷を足元に叩きつけ、肩で息をした。


「……渡すだけの仕事って、簡単なはずだったのに」



戻ったとき、結の顔には血痕がついていた。


「師匠…あの女、どうしたんですか」


楓は変わらぬ顔で湯をすする。結の視線の先には、気絶した女が倒れていた。


「ひとまず眠ってもらった。もう少し話を聞いておきたいからな。どうだった?」


「襲われかけました」


「そうか」


楓は目を伏せ、茶を一口。


「つまらぬ“荷物”のために、命が削られる。まったく、世知辛い時代だ」


「その荷物──中身、薬ですよね。悪い意味で」


「ああ。大衆向けの“気晴らし”さ。よく効くらしいが、効きすぎるのが難点だ」


結は風呂敷を睨みつけた。


「運び屋にしては、やり方が雑です。どうせ誰かに見抜かれる」


「そう、雑だ。けれど、それが普通になっているんだ。だから嘘も通る。そういう時代なんだろう」


結は唇を噛んだ。



しばらくして、女が目を覚ます。


「……くそ。あの娘、殺されたのかと思ったのに……」


「残念ながら。あの子はそう簡単には死なない」


楓は湯を一口すすったまま、微笑を浮かべる。


「……にしても、あの顔、あの目。やっぱり“縁”に似てるわね。あの女も、あんな感じで──だから死んだのよ。殺し屋のくせに真っ当すぎ。あれを馬鹿っていうのよね。世の中、そんな奴から死んでいくの」


女の嘲り混じりの声に、空気が凍った。


次の瞬間、鋼が擦れる音がして──女の首元に、結の刀が静かに添えられていた。

その表情は冷たく、目には光が無い。


刃の先が、女の白い喉元に一筋の線を描く。ほんのわずかな距離でも、確かに“命の線”に触れていた。


「──結」


楓の声は静かだった。たったひとこと、名前を呼んだだけ。


結はしばらく動かず、じっと女を見つめていた。やがて──刀を引く。


「……今なら見逃します。さっさと消えてください」


女はしばらく呆然としていたが、結の目を見て怯えたように立ち上がり、ふらつきながら家を出ていった。


戸が閉まると、長い沈黙が残った。



「──頑張った褒美に、団子でも買ってやろうか」


楓の声に、結がぴくりと肩を動かす。


「……え?」


「甘いものを口にすれば、少しは頭も冷えるだろう」


「……はい。ありがとうございます、師匠」


いつもの調子で、けれどどこか気恥ずかしそうに微笑む結に、楓はくすっと笑って立ち上がる。


「行くぞ。さっさと済ませて、次の宿を探そう」


「はい。団子屋、ちゃんと選ばせてくださいね」


そうして二人は、夕暮れの街道へと歩き出した。


嘘の残り香を背にして、明日へ向かう一歩を踏み出す。


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