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室町異聞  作者: 辻桃
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槍の雨、風の影(後編)


夜。


野営地に重く湿った空気が満ちていた。月は雲に隠れ、風は音もなく吹いていた。


「……気配が違います」


結が呟いた瞬間、森の方から微かな土音。続いて、矢の放たれる風切り音。


「来るぞ!」


楓の声が落ちたと同時に、敵の矢が闇を裂いて飛び込んできた。味方の兵たちがあわてて伏せる。


「夜襲かよ! 卑怯な……!」


「卑怯だろうが、勝ちゃあいいって連中だ」


重吉が呻くように言った。


「矢だけじゃねえ、槍兵も近づいてる……!」


敵は暗がりを縫うように、音を消して移動してくる。こちらの陣に気づかせぬよう、まさしく“影”のような動き。


「このまま迎え撃ったら、混乱して崩れます……!」


結が言いかけたその時、楓が立ち上がった。


「ならば、先に“混乱”を与えればいい。奴らが最も嫌がる形でね」


「……また裏の手を?」


「その通り。結――お前は森を回って敵の背後に回れ。火矢を二発、合図に使え」


「了解。…胃がキリキリするけど、了解!」


「文句はあとで聞こう」


結は森の中に消えた。



闇の中での戦は、音と気配が命だ。


味方の兵たちは、火を消して音を殺し、じっと伏せていた。


「……なぁ、楓殿。敵が混乱するって、何を?」


重吉の問いに、楓はにやりと笑った。


「奴らは“計算”に忠実すぎる。だから、予測できぬことに脆い。戦場で最も不可解なものは、“兵ではない者が動くこと”だ」


「は?」


「つまり――“妖でも怪でもない、旅の女が背後から現れて城に火を放つ”など、想定外すぎるだろう?」



そのとき、夜空を裂くように――火矢が一閃、森の向こうへ走った。


一発、二発。


「きたな」


楓が合図を送ると同時に、味方兵たちが跳ね起きる。


「よし、奴らの陣形は崩れた! 一気に押し返せ!」


「うぉぉぉ!」


重吉が先陣を切る。他の兵たちも次々と続いた。


敵の背後――確かに結が火を放ったらしい。煙が立ち、動揺した敵が指示を見失っている。


闇の中、兵たちの声と足音が交差する。


「俺らが主役ってのも、たまには悪くねぇな!」


「いいや、いつだって俺たちが主役だ!」


武器のぶつかる音、叫び、火の爆ぜる音。戦場が怒涛のように流れ出す。


その中で楓は、敵軍の後方に控えていた、ただ一人動かない男に目を止めた。


白い陣羽織に、目立たぬ作りの兜。


「……指揮官か。いや、“黒幕”か」



一方、火を放った結は木陰から戦況を見つめていた。


「……よし、混乱してる。なら――」


刀を握り直す。そこに、槍を持った敵兵数名が気づいた。


「おい、あれ女だぞ!」


「後ろから火を放ったのか……!」


「――来いっ!」


結は叫び、飛び込んだ。


間合いの狭い森の中では、長い槍は扱いにくい。そこを狙って、片刀で足元を払う。


一人、二人、三人――


「って、ちょっと多くないです!?」


敵兵はさらに増えていた。包囲されかけたそのとき――


「夜目の利く者を選りすぐったつもりだったが、案外頼りないな」


冷静な声が、背後から響いた。


現れたのは、あの白い陣羽織の男。


結は反射的に刀を構える。


「誰だ…?」


「名乗るほどの者ではない。だが――お前たちが動けば、戦の形は崩れる。だから、ここで斬る」


「…なら、容赦しませんよ」


一歩踏み込んだ瞬間、その男は楓の放った小刀をかわす。


「後ろばかり見ていると、足元をすくわれるぞ」


「……お前が“設計者”か。戦を囲碁の盤に乗せる者」


「いや、“ただの仕掛け人”だ」


そう言い、男は結に再び斬りかかる――が、その動きは不自然に遅い。


「……あれ?」


「悪いな」


楓が微笑む。


「その刀には私の札を仕込んでおいた。多少の力の封じは効くだろう?」


「……小癪な」


男はその場に崩れ落ちた。


「終わり、ですね……?」


「いや。今夜の“設計者”は倒したが、戦自体の決着は、まだだ」



翌朝。


敵軍は混乱の末、夜明けとともに撤退を開始。味方軍の士気は高まり、反撃に転じる気配が満ちていた。


重吉が駆け寄ってきた。


「お二人とも、本当にありがとう……! これで俺たちの城は守れそうだ!」


「戦の本当の勝者は、お前たちだ。私たちは少し影を揺らしただけさ」


楓の言葉に、結も笑った。


「胃薬、三袋ぶんは飲みましたけどね」


「それはまた別の話だな」


「全然別じゃないですよ!!」


二人の掛け合いに、重吉たちは笑い声をあげた。


日が昇り、戦の地に新しい朝が訪れていた。


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