槍の雨、風の影(前編)
「……師匠。あれって、戦ですよね?」
木立の上から見下ろす結の声に、隣の楓はのんびりと串団子をくわえたまま頷いた。
「うん矢が飛び交い、槍が突き立てば、合戦であるってね」
「…なんで新作の団子を食べているのですか?」
「腹が減っては戦はできぬ、と昔から言うじゃないか」
「誰が戦うんですか!」
木々の合間から見えるのは、野に広がる戦場だった。甲冑に身を固めた兵たちが鬨の声を上げ、槍の列がぶつかりあい、黒煙が立ちのぼっている。
結は頭を抱えた。「これ、ぜったい巻き込まれるやつ……」
◇
事の始まりは、ほんの一刻前。
峠を歩いていた二人の前に、血相を変えた農夫が転がり込んできた。
「た、たすけてくれえぇ! 討って出たら待ち伏せされて、味方がやられちまう!」
「……農夫が戦の話してるの、嫌な予感しかしませんけど」
追いかけてきたのは、槍を構えた足軽たち。どうやら、逃げた者の口封じにかかったらしい。
「わしらの城が攻められてるんだ。守る者も足りねえ……! 頼む、あんたら強そうだ! 手を貸してくれ!」
「……師匠、どうします?」
「まぁ、助けなきゃ後味が悪い。かといって助けたら巻き込まれて重症もありうる」
「どっちに転んでも地獄じゃないですかっ」
◇
というわけで、いま結は槍兵の波に片刀を突っ込んでいた。
「ちょっと待て! 私、寺子屋の先生だったの、ほんの数日前なんですよ!?」
「結、三歩左。次、槍の突きが来る」
「師匠はどこから見てるの!?」
言われた通りに動けば、確かに槍は外れる。次の瞬間、跳び下がりながら敵兵の手元を一撃で叩いた。
「いったぁ! こ、この娘……侍か?」
「旅の女剣士だとよ!」
「よく見ろ、なかなかの美人だぜ」
「戦の最中にナンパをするな…」
隣では、農夫改め兵士の一人が苦笑する。
「姐さん、えらく強えな……そんだけ斬れて、よう我らに加勢なんてしてくれた」
「ちょっと巻き込まれただけですってば!」
とは言うものの、戦線が崩れるのを防ぐために、結の剣は何度も火花を散らした。
◇
夕刻。
斜陽が西に傾き、ようやく兵たちの動きが止まった。攻め手の軍は、人数こそ多いが地形に不慣れ。防戦側は士気が高いものの、兵糧と武器が圧倒的に足りない。
陣を退いた結は、肩で息をしながら地面に座り込む。
「はぁ……死ぬかと思った……」
「まだ死ぬには早いぞ、結」
「……師匠、ほんと平気な顔してません? 一回くらい敵の槍、食らってみません?」
「私は器用な生き方しかできなくてね」
団子をつまみながら言う師匠に、結は頭を抱える。
そこへ、先ほどの農夫――いや、味方軍の兵士・重吉が戻ってきた。
「助かったよ、姐さん。……けど、うちの城、長くはもたねえ」
「やっぱり、兵力不足ですか?」
「それもあるが……あの攻め手の軍、どこか様子がおかしい。隙もないし、陣も完璧すぎる。まるで――裏で操ってるやつがいるみてぇだ」
「……師匠?」
「同感だ」
楓がぽつりと呟いた。
「これまでの戦と異なる。まるで“戦”そのものを、別の誰かが設計しているようだ」
「設計……って?」
「この戦が“誰かの思惑”を叶えるための道具になっているのだとすれば、力ずくでは勝てない」
楓は立ち上がり、空を見上げる。
西の空はすでに赤く染まり、風が生温い。
「決着は今夜つくか、あるいは明朝か。いずれにせよ、時間はない」
◇
夜。
野営地の片隅、焚火を囲んだ小さな輪の中で、結と楓、それに重吉を含む味方軍の兵士たちが膝を寄せ合う。
「我らは明日、どう動けば……?」
そう問う若き兵士に、楓は静かに告げる。
「この戦、主役はお前たちだ。私たちはあくまで“影”として動く」
「影…?」
「陽が強ければ、影も濃くなる。私たちは、陽を生かすために動く。陽とは――お前たち自身の意志だ」
結は火に照らされた楓の横顔を見ながら、そっと呟く。
「また、胃が痛くなるやつですね……」
「慣れてね」
「いやもう、慢性なんですけど!?」
兵たちがくすりと笑った。空気が、少しだけ和らぐ。
──だが、夜の闇は静かに迫っていた。
風が変わる。焚火の火が、ふっと揺れた。
誰かが、気づかぬうちに足元の影へと手を伸ばしている気配。
楓の目が鋭くなる。
「始まるぞ。影の中の影から、次は出てくる」
結も腰の刀に手をかけた。
「了解です。胃薬、持ってきてくださいね」




