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室町異聞  作者: 辻桃
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寺子屋と小さな守護様

「なんで私が、こんな……っ」


床に投げ出された硯。墨まみれの子供たち。おまけに犬が一匹、筆をくわえて逃げ回っている。


その混沌の中心で、結は顔を引きつらせていた。


「せ、せんせー! この子がオラの背中に“鬼”って書いたー!」

「違うよ結先生、これ“焼きそば”って書いてる!」

「もっとダメだろ!」


結はぐしゃっと頭を抱えた。

寺子屋──それは戦場よりも過酷な場所だった。



「で、あっちはあっちで何してるんですか……」


結がふと窓の外を見ると、楓はのんびりと縁側に腰を下ろし、年配の男と茶をすすっていた。

実に優雅である。


「師匠! 交代してください! 私もう限界! 魂が抜けそうです!」


「ほう、もう抜けそうか。では魂ごとそのまま教材に……」


「やめろォ!」



「……ということでしてな」


茶を注ぎながら語る男は、この寺子屋を兼ねる寺の住職であり、村の学園長でもある。

名を「玄海げんかい」という。


「この村では昔から、“守護さま”という存在をお祀りしとります。

洪水も疫病も防ぎ、村を守ってくださる。だが……その代償として、年に一度、子を一人差し出さねばならんのです」


「……随分と重い“伝統”ですね」


楓は茶をくるくる回す。


「それがなければ、あの子らが健やかに育つと思えば、誰も声を上げられなかった……。

じゃが、もう限界じゃ。子供は減る一方。

“守護さま”を怒らせずに、儀式を終わらせる術はないものか」



放課後(?)を終えた結は、絞りきった雑巾のような顔で戻ってきた。


「……つ、疲れました」

「良い顔になったな。ちょうどいい。これから“守護さま”に会いに行こう」


「……私、まだ“守護さま”よりも“胃薬さま”に会いたいんですけど……」



守護が祀られているという山の祠は、まるで観光名所のように花が供えられ、小綺麗に整えられていた。

鳥居の奥、小さな祠の前で立ち止まる。


「ここが……“守護さま”?」


「そう。では、結。挨拶してこい」

「え、ええ……?」


しぶしぶ進んだ結が、祠の扉をそっと開けた、その瞬間。


「こんにちはっ!」


ぱた、と何かが飛び出してきた。

真っ白な肌、黒髪のおかっぱ、そしてパッチリとした瞳の──小さな女の子だった。


「わあ、訪問者さんだ! 久しぶりの人間! しかも若い! 可愛い! お姉さん、名前なぁに?」


「……えっと、結です」

「けつちゃんっ!」


「ちがう! 結っ! 『むすぶ』って書いて『ゆい』!」


「じゃあ“ゆっちー”ね! ゆっちーと呼ぼう! よろしくっ!」


テンションMAXの少女に押され、結は圧倒されながら後退った。


「ちょ、ちょっと楓! この子が“守護さま”って……」

「ああ、そうだ」


「……どう見てもただの元気な子供なんですけど!」


楓は静かに答えた。


「彼女の過去と関係あるのかもね?…教えてくれるかい?



その夜、楓と結は“守護さま”──少女の名は「ミオ」といった──から、彼女の過去を聞いた。


「……私、昔はこの村の子だったんだよ」


ミオは夜風に揺れる灯籠の明かりを見つめながら、ぽつりぽつりと語り出す。


「家も小さくて、貧しくて……でも、それでも幸せだった。お母さんとお父さんと、一緒に暮らしてた。ある日、村に妖が現れてね。みんな逃げようとしたんだけど、あたし……足がすくんじゃって……」


声がかすれる。


「目の前で、食べられたの。お父さんも、お母さんも。ぐちゃって。目を背けたのに、音が、匂いが……全部、焼きついちゃった」


結は何も言えず、ただ膝に手を置いたまま、拳を握りしめた。


「その時、何かがあたしに言ったの。“怖かったね”“助けてあげるよ”って。あたしは、あたしの心を差し出した。……それで、楽になれると思ったんだ」


楓の瞳が静かに揺れる。


「その“何か”が、君に憑いた」


「うん。それが、“守護さま”の始まり……。妖は言ったの。“祀られなさい。恐れられなさい。そうすれば、もう誰にも見捨てられない”って」


そして、ミオの口元が歪む。


「それから毎年、子供をひとり差し出す儀式が始まった。“守護のため”って言い訳つきで。でもね、本当は違う。“見捨てられるくらいなら、捧げさせてやる”……妖の声が、あたしの中でずっと……」


ぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「もう、誰も傷つけたくないのに……! やめたいのに、でも、でも……!」


その瞬間だった。結がそっと立ち上がり、ミオに手を差し伸べた。


「……なら、一緒に止めよう。こんなの、間違ってるよ。あなたの中に、まだ“やめたい”って気持ちが残ってるなら──きっと、大丈夫」


小さな手を、結の手が包もうとする。


しかし。


「来ないで!!」


ビシィッ!!


空気がはじけ、突風のような力が放たれた。結の身体が後方へ弾かれる。


「っく……!?」


ミオの顔は、もはや先ほどの“少女”ではなかった。


黒く濁った目。口元には人間の皮を剥ぐような薄笑い。禍々しい気配が、辺りの空間そのものを凍らせる。


「──ああ、“優しい手”はもう要らない。“見捨てられるくらいなら、全部壊せばいい”って、そう言ったの、あの時も」


「……お前、もう“お前”じゃないな」


楓の声が、鋭く切り込んだ。


結の前に立つ。


「後ろに下がれ、結。これは、もう祈りでも涙でも届かん存在だ」


ミオ──いや、その中に棲む妖は、ひくひくと笑った。


「ふふ……ふ、あはは……“封”なんてできるもんならやってみなよ、“術師さん”……!」


楓は袖から符を一枚、ゆるりと取り出す。


「天地を裂くは我が意──」


妖の咆哮が、森を揺らす。


「四象を鎮めるはこの符──」


空間に亀裂のような影が走る。


「──封!!」


符が飛び、光が爆ぜた。


ミオの身体から闇が噴き上がる。風がうねり、草木が軋む。だがその中心で、ミオの潤んだ瞳だけが、わずかに揺れていた。


「……封は完了した。もう、誰かを呪うことも、誰かに呪われることもない」


楓は静かに呟いた。


「ミオは、どうなったんでしょう?彼女の意思は、結局…」


「少なくとも、この世にはいない。…そう落ち込むな」


「……でも、両親のそんな姿を見て、それでいてあの子は唆されて。こんなの…」


「過去は過去だ。よくあること、で片付いてしまうんだよ、そういうのはね。君が引きずっていてもしょうがない。

寺子屋の子たちに会ってから、お暇しよう」


「…はい」


結は静かに願った。

どうか、ミオが両親に会えていますように。

今いる子供たちが、健やかに生きれますように。


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