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室町異聞  作者: 辻桃
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波間に笑う男(後編)



朝焼けの中、海は静けさを取り戻していた――ように見えた。


だが、桟橋に立つ楓の耳に、確かに届いていた。

潮の奥底から響いてくる、得体の知れぬ呻き声。

それは言葉にならない悲しみの残響だった。


「……来るな。準備は?」


「万全です。札も、刀も」


結は背筋を正し、海を睨みつける。

隼はその隣に立ち、手斧を構えていた。


「おいおい、俺まで戦力に数えられてんのか?」


「敵が水軍の縄張りを荒らしてる以上、あなたにも責任はあります」


結の言葉に、隼は肩をすくめる。


「鬼の弟子は口が厳しいな」



海が、叫んだ。


黒い霧が膨れ上がり、海面を割って何かが現れる。

それは巨大な、魚とも虫ともつかぬ異形だった。


骨のように突き出た背びれ。

まばたき一つしない無数の目。

そして、空洞のように大きく開いた口から、ねっとりとした声が漏れる。


「……かえ……せ……」

「何を?」


楓の問いに、化け物は呻いた。


「……命……海の……供物を……かえせ……」


「供物?」


隼の顔が強張る。


「まさか……家族を?」


「……返せ……返せ……かえせェェェェエ!!」


異形の影が、怒りに任せて海を渦立たせる。


「来るぞ!」


楓の一声とともに、戦いが始まった。



結は札を展開し、霧を裂くように突き進む。

海上に張り巡らされた結界の中、異形は身体をくねらせて襲いかかってくる。


「霧が濃すぎて動きが読めません!」


「なら、止めろ」


「はい!」


結は符を海に投げ入れる。

「水神、此処に在りし者の声を止めよ――封!」


爆ぜるように札が光り、異形の動きが鈍る。


「今だ、楓!」


楓の体が霧を切り裂いて躍り、抜刀とともに異形の目を斬る。

呻き声が海に響き渡り、波が荒れる。


「隼、今!」


「応!」


隼は海辺に設置した火矢の仕掛けを放つ。

火矢は舟に積んだ油樽へ――爆ぜた!


爆音と共に霧が一瞬、吹き飛ぶ。

楓が懐から、封印札を取り出す。


「天地を裂くは我が意、四象を鎮めるはこの符。――封!」


札が蒼く輝き、異形の体を覆う。

呻きが次第に消え、霧が海の底へ吸い込まれるように引いていく。


やがて、何もなかったかのように、海は静けさを取り戻した。



しばらくして。


「……終わったな」


隼が桟橋に腰を下ろし、笑う。


「師匠、封印が決まりましたね」


「相当な力だった。これまで封じた中でも上位に入る。だが、まだ動機が腑に落ちん」


楓が目を細める。

異形は“供物”を返せと訴えていた。

海に命を捧げるような、かつての風習――。


「それが……家族を呑んだ“理由”ですか」


「たぶん、な。たとえ理不尽でも、“海”は理由を持っていることがある。……それでも、俺は信じたい」


隼が立ち上がる。


「海は、取り戻せる。信じれば、もう一度笑ってくれる」


その背中は、大波に向かってまっすぐだった。


「おい結。お前も、良い剣士になったな」

「え……」


「ま、楓の弟子にしては素直すぎる気もするがな!」


「……余計なお世話です!」


楓は小さく笑った。


「ま、お前はこのままでいい。どんな波が来ても、折れずに進め」


「……はい」


結は小さく頷いた。



その夜、ふたたび浜にて。


「楓よ」


「ん?」


「いつか、お前が本気で“敵”になったら、そのときはどうすりゃいい?」


「そうだな……結を信じろ」


「おいおい、他人任せかよ」


「信じられるだろ、あいつは」


「……そうだな」


潮の音が静かに満ちていた。


やがて風が吹き、波間にひとつ、笑い声が重なる。


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