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室町異聞  作者: 辻桃
22/46

波間に笑う男(前編)

「久しいなァ、楓!」


まばゆい陽光と潮風の中で、その男は満面の笑みを浮かべていた。

浅黒い肌に赤く日焼けした頬、力強い腕を組み、大きな声で笑う。


「この十年、消息もろくに寄越さねぇから、てっきり化け物にでも食われたかと!」


「私がそう簡単に食われると思うかい、隼」


楓は微笑を浮かべたまま、長旅の埃を払うように裾をはたいた。

その後ろには、複雑な顔をした結が立っていた。


「で、師匠。この人は……?」


鷹津たかつ はやと。このあたりの水軍をまとめてる頭領だ。昔の知り合いでな、頼りにはなる」

「“頼りになる”って聞こえたぞ! 嬉しいじゃねえか!」


豪快な笑いが浜に響いた。

だがその目の奥には、ふとした影がよぎったことを、結は気づかないふりをした。



隼に案内され、結と楓は海沿いの屋敷へと通された。

木の香りが残る建物の中は、干した魚の匂いと、ざんざんという波音に包まれていた。


「で、厄介ごとってのは?」


楓が腰を下ろすなり尋ねると、隼の顔が少し曇る。


「海に、変なもんが出てな。網が破かれ、倉庫が壊される。船も一隻、底から食われた」

「化け物、ですか」


結が身を乗り出すと、隼は頷いた。


「漁師のひとりが言ってた。“海に黒い影がうごめいていた”ってな。……目撃者は、それきり行方不明だ」


「妖の類でしょう。だが、気になるな。目撃して姿を消すほど、強い“意志”がある」


楓は腕を組んで考える。

ただの暴れ妖ではない。何かを狙っている可能性がある――。



その夜、結はふと目を覚ました。

波の音がいつもより近い。潮のにおいが濃い。


「……ん?」


縁側から外を見やると、隼の姿があった。

海に向かって立ち、何かを呟いている。


「……?」


結がそっと近づくと、隼は気づいたように振り返り、笑った。


「起こしちまったか。悪いな、夜風が気持ちよくてさ」


「いえ……眠れなかっただけです」


しばし、ふたりで黙って波を見た。

月の光が波頭に揺れて、銀の鱗のようにきらめいていた。


「昔な、俺の家族もこの海で生きてたんだ。親父も、漁師でな」

「……」


「だけどある日、突然だった。海が“変わった”。あれは、海そのものが怒ってるようだった。舟は沈み、家族は帰らなかった。俺だけが、岸に打ち上げられて、生き残った」


「……」


「それ以来、俺は“海に愛された”んじゃなく、“海に見逃された”と思ってる。……それでも、海が嫌いになれなかった」


結は言葉を失った。

だが、その背に宿る想いは、彼女にも痛いほどわかる。


「楓もな、俺を生かした。理由も言わず、ただ“生きろ”って言ってくれた」


月明かりの中、隼の目がどこか遠くを見つめる。


「だから、俺は海を守る。何が出てこようと、な。……家族が帰ってこないってわかってても、それでも、海の美しさを信じたい」


「……隼さん」


「ん?」


「海を信じるあなたを、私は信じたいと思いました。だから、今回の件……ちゃんと、力になります」


そう告げると、隼は静かに笑った。


「頼もしいな。やっぱり、楓の弟子って感じがするぜ」



そしてその翌日。

海は再び荒れた。


網が裂け、船が半壊。

海上に、うっすらと黒い霧のような影が現れた。


「……結、行けるか?」


「もちろんです」


楓と結は立ち上がる。

波間に蠢く異形を見据えながら。


「隼さん、私たちが終わらせます。この海を、取り戻しましょう」


その言葉に、隼は拳を握り、頷いた。


「頼んだぜ、“結ちゃん”」


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