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室町異聞  作者: 辻桃
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死者の嫁入り

山間の村に足を踏み入れた瞬間、空気が妙に湿っていた。昼なのに霧が立ちこめ、どこか、土の匂いに混じって花の香りがする。


「妙な場所ですね。季節外れの桜の匂いがする」


結が鼻をひくつかせる。


「桜じゃないよ。死化粧に使う白粉と、花嫁の髪に添える匂い袋の香りだ」


楓がまっすぐ前を見ながら呟いた。


「死化粧……?」


「たぶん“嫁入り”なんだ。死んだ娘のね」



村の長が語った話は、重たく、そしてどこか歪んでいた。


「五年ほど前に死んだ娘がおりましてな。“おかつ”という。村一番の器量よしで、年頃になると縁談も何度もあったんですが――」


そこで、長は言葉を濁した。


「…何かあったんですか?」


結が促すと、長はしぶしぶ口を開いた。


「…死んだ娘は、嫁ぐはずだった相手に裏切られ、村の掟で“穢れ”とされてしまったんです。腹に子を宿していたとも…言われましてな。で、そのまま川に身を投げて……」


「それが“死者の嫁入り”と、どう繋がるんです?」


「娘の死から一年後。――夜中に“花嫁衣装を着た死体”が村の家に現れました。男の元に、黙って立っていたと。以来、年に一度、その娘は“誰かを迎えに来る”ようになったんです」


「……“迎えに”?」


楓の声がわずかに低くなる。


「はい。今年は、うちの若い衆が一人、消えました。布団を残して……朝にはいなくなってたんです。窓に花びらが残ってました」



その夜。


村の奥、かつて“おかつ”が身を投げたという川のほとりで、結は目を凝らしていた。


そのとき、ぽたりと白いものが落ちてくる。


「花びら……?いや、違う」


指でつまむと、それは絹布の切れ端だった。刺繍の花模様。婚礼衣装の一部。


「来る!」


静寂を裂いて、白無垢をまとった女が現れた。


その歩みはおぼつかず、けれど確かな意思があった。


「――あなた、誰を迎えに来たの?」


結が声をかけると、女は足を止めた。


顔は伏せたまま、しかしその肩が、ひく、と震えた。


「――わたしの婿を、さがしに」


「その人はもう、どこにもいないよ。あなたを裏切って、捨てたんでしょ?」


その言葉に、女の白無垢の裾が、風もないのにゆらりと揺れる。


「それでも、わたしは、嫁ぎたいの」


結が一歩後ずさる。


その時。


「嫁入りは祝うものであって、引きずってくるもんじゃないよ」


楓が現れ、静かに一枚の札を投げた。


「天地を裂くは我が意、四象を鎮めるはこの符――封」


札が地に落ちると、四方に光が走る。


女の姿が、それに絡め取られるようにして消えかけた――が。


「ちょっと待って!」


結が叫んだ。


「今のは、ただ“嫁ぎたい”って気持ちだけだ。恨みや怒りじゃない。これは、たぶん誰かの願いが歪んで生まれたんだよ!」


「……ふむ。つまり?」


楓が封印の術式を解除する。


白無垢の女は再び姿を現したが、もはや襲う気配はない。ただ、その場に座り込み、絹布を胸元に抱いていた。


「“おかつ”が生前言ってたそうです。“誰にも祝ってもらえない花嫁には、死んでもなれない”って」


「誰かが、それを聞いてたのかもな。“祝ってあげたい”と願った誰かが。けれど、気持ちは強すぎると、妖になる」


結が女にそっと手を伸ばした。


「ここに、私たちがいます。“おかつさん”、おめでとうございます。ようやく嫁入りですね」


女の顔は見えなかった。けれど、どこかで――微かに、笑った気がした。



朝日が昇るころ。


川のほとりに、白無垢の布が丁寧に畳まれて残されていた。香の匂いとともに、春がほんの少しだけ、早く訪れたようだった。


楓が言った。


「たまにあるんだよ。“願い”の形をした妖ってやつが」


「師匠はどう思いました?」


「花嫁のまま死ぬってのは、やっぱり無念だ。けれど、無念を“誰かが晴らしてあげよう”とした結果がこれだとしたら……それもまた、切ないね」


「それでも、今回は救えた気がします」


結は、白無垢の布を手に取り、そっと村の祠に供えた。


「おかつさん、どうか、幸せになってください」


「うん。……あとは団子だな」


「真面目な空気が台無しです!」


「それでも団子は食べたい。祝ってあげよう。死者の嫁入りと――私たちの胃袋に」


「はいはい、分かりましたよ」


春の香りと、白粉の名残が消える村の空に、鳥の声が静かに響いていた。


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