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室町異聞  作者: 辻桃
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傘売りの声、響く町

ぱら、ぱら、と。


夕立が石畳を濡らす中、町の片隅で一人の男が傘を売っていた。


「ほらほら、おひとついかが。紙の傘より頑丈で、雨の音まで風情よく響く」


やけに艶のある声だった。着流し姿に、飾り気のない番傘。見た目は何の変哲もない商人――だが、男の目にはどこか人ならぬものが宿っているように見えた。


その町で雨が降るたび、奇妙な失踪が相次いでいた。


そして、そのたびに聞こえてくるのだ。


――「傘はいらんかね?」



「ねえ師匠、この町、なんか変じゃないですか」


結が眉をひそめる。


町の人々は、どこか上の空だった。声も動きも鈍く、雨が降り始めても、傘も差さずに突っ立っている者すらいた。


「雨に呑まれてる感じだね」と、楓はぽつりと呟いた。


「呑まれるって、雨にですか?」


「昔から、“降り続く雨に心を食われる”って言い伝えがある。多くは妖絡みだけど、なかには本当に雨の精みたいなやつもいる」


「でも、人が消えてるんですよね?」


「うん。町の裏通りの古井戸、五人消えてるってさ」


「……絶対妖ですね」


「はは、鋭いじゃないか、結」


「バカにしてます?」


「ううん、誉めてる」



結はその日のうちに、“傘売りの男”を見つけた。


町はずれの細道で、小さな少女に傘を差し出していた。


「これで雨が止んだら、返しにおいで」


男の声は妙に優しかったが、傘の骨が青く光るのを結は見逃さなかった。


「師匠、あれ……」


「見てきなさい。すぐ斬ろうとしない。話を聞いてからでも遅くはないよ」


「わかってますって……!」



結が男の元に近づくと、男はふと結に視線を向けた。


「お嬢さん、傘はいらんかね?」


「持ってるので大丈夫です」


「ああ、それはつまらん」


「……でも、売ってる傘、ちょっと変ですよね」


「ほう、変だと?」


「骨が光ってました。普通の傘ならそんなことないでしょ?」


男はふっと笑った。


「なるほど。お前はあの化け物の弟子か」


「……?」 


男の目が、深く、紅く染まっていく。


「まさかあれが、弟子をとるとはな。ずいぶんと気まぐれなことを」


「……あなた、師匠のことを知ってるんですか」


「知ってるさ。知ってるとも。“彼“が何をしたかも、どこから来たかも。何を失ったかも」


「……」


「だが、教えはしない。お前が“全部”知った時、その刃がどこに向くのか、私も見てみたい」


その瞬間、空が弾けるように雷鳴を轟かせ、男の姿が闇に変じた。雨が、町に本格的に降り始める。



結は腰から札を抜き、空へ投げた。


「動きを止める――!」


札が空中で光を放ち、男の影の動きが一瞬止まる。


結が斬りかかろうとしたその瞬間、楓の声が飛んだ。


「止めなさい」


ぴたりと動きを止めた結が、苛立ちを込めて振り返る。


「なんでですか!」


楓は雨の中を悠々と歩きながら、男の傘の前に立った。


「この妖は、“まだ”選んでいるだけだ。喰ってはいない」

「でも、失踪者が……!」

「封じ込めてるんだよ。人の心を、傘にね」


結は目を見開いた。


「……じゃあ、あの傘、全部……」


「そう。取り憑かれた人間の“迷い”が具現化したものだろう。喰われる直前で止まってる」


楓は扇子で軽く男の顔を仰いだ。


「お前、随分と器用な真似をするじゃないか。心でも集めてるのか?」


「人の“空白”を喰うのさ。喰らうより、眺めていた方が心が安らぐ。……それじゃいけないのかい?」


「構わないよ。ただし――迷ったままの人を巻き込むのは、ちょっと趣味が悪いな」


楓が懐から、ふわりと光る符を取り出した。だがそれは封印の呪ではなく、祈りのような“還し符”だった。


男の影がしゅうっと小さくなり、傘の骨がぱきりと折れる。


「……風情が、なくなるな」


そう呟き、男の姿は霧の中に消えた。



その夜、結と楓は町の屋根の上にいた。


「師匠……あの妖、あなたのこと“化け物”って……」


「珍しい話じゃない。そう言ったやつは他にもいる」


「でも、あなた、怒らなかった」


「怒るだけの余裕がないだけさ。……“怒る”ってのは、誰かを守る時に使うもんだろう?」


結は黙って団子を差し出した。


「食べます?」


「うん」


珍しく素直に手を伸ばした楓が、ぽつりと言った。


「結、少しずつ“見える”ようになってきたね」


「え?」


「妖の心。雨の匂い。……そして、“嘘”の匂いも」


「誰の嘘ですか?」


「さあね」


二人の影が月明かりの下で揺れた。


そして結の中には、ほんのわずかに芽生えた疑問が、静かに根を張っていくのだった。


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