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室町異聞  作者: 辻桃
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獣の眼を持つ子

ある秋の日。

楓と結は、近江の山あいにある宇佐布村を訪れていた。


依頼の内容は「子どもの目が獣のようになり、人を噛んだ」というもの。

加えて、夜中に人の気配のない家から動物のようなうなり声が聞こえる、と村人たちは怯えていた。


「“獣の眼を持つ子”……なんとも不穏だね」

「師匠。噛んだ相手の腕がただれているそうです。妖の仕業と見てよいかと」


「噛まれた者が正気を失うようなら、確かに妖の類いだな。

ただの病なら、私たちの出る幕じゃない」





問題の子は、沙月と呼ばれる少女。齢十。

噛みついた相手は村の若者で、彼女が急に叫びながら飛びかかったという。


だが、沙月本人はまるで覚えておらず、普段は物静かで礼儀正しい。


「……あの夜、目が覚めたら、腕に血がついていたんです」

沙月は俯いて言った。「私じゃない……って思ったけど、でも爪の中に泥があって……」


結はそっと尋ねた。「夢を見ましたか?」


沙月は、うなずいた。


「夢の中で、私は真っ暗な森にいて、

“赤い目をした何か”が、私に入ってこようとしていた」





楓は村の古老に話を聞いた。


「昔この村には、“獣に取り憑かれた子”を山へ捨てる風習があった。

だがそれは百年前に廃れたはず……」

「何か遺跡か、祠のようなものはありますか?」


「……“落し岩”の下に、封じの杭が打たれておる。

近づくと耳鳴りがする。あそこには、誰も寄らぬ」





夜。


沙月の家の周囲を警戒していた結は、不意に冷たい風とともに異様な気配を感じた。


「来る……」


草むらから、這い出るように黒い影が現れた。

それは子供ほどの背丈、だが腕は細長く、背は猫のように曲がっている。


眼だけが異様に赤く光り、どこか哀しげでもあった。


「オレハ、ヒトノ、ナカ……」


声は獣のうなり声に混じり、言葉の形をとっていた。


結が札を放つと、影は一瞬で霧散し、家の屋根に逃れた。

中から、沙月のうめき声が聞こえる。


駆け込むと、沙月は震えながらこう言った。


「……また来た。“中に入れて”って言ってた……」





翌朝。


楓と結は“落し岩”を訪れた。


その下には、古びた杭と、獣の骨と思しきものが埋まっていた。

その杭に刻まれていたのは、“双眼封”という古い術式。


「これは……“目を通して憑く”妖だ。獣の霊ではなく、“視線”そのものが媒介」

楓が言った。「誰かがこの岩の下に“見たものすべてを喰う妖”を封じた。

それが、沙月の眼を通して少しずつ漏れ出したんだ」


「じゃあ……沙月は“見てしまった”から、繋がった……?」


「おそらく、落し岩に近づいたことがあるんだろう。

目は魂の入口。その子の心の中に、妖が触れてしまった」





再び夜。


楓と結は、沙月の部屋に結界を張り、妖を待った。


そして――現れた。

今度は、完全な形をとった獣の妖。

犬とも猫とも言えぬ、二足歩行のしなやかな影。


だが、その眼だけは、人間のそれだった。


「オレハ、ナカニ……」


「沙月ちゃんの中に入ろうとするな……!」

結が刀を抜き、跳躍した。

刃が妖の首を裂く――が、霧のように消え、背後からまた出現する。


「斬れない……!」


「これは“視線”そのものだから、物理では切れん。

結、見つめ返すな。“視られる”ことで中に入られる」


「でも、師匠……あの子の心の中に入り込んでるなら……!」


結は覚悟を決め、沙月の目を真正面から見た。

そこには、もう一つの視線――赤い光が宿っていた。


「あなたは……なぜ、ここに?」


結が問いかけると、声が返ってきた。


「……殺された。追われて、埋められた……目を、奪われて……」


「殺された……?」





楓が呪を唱えた。


「天地を裂くは我が意、四象を鎮めるはこの符。――封」


札が沙月の額に貼られ、赤い光が抜けるように、静かに消えた。

同時に、獣の妖の姿も、すっと空気に溶けるように消えていった。


それは、ただ“見つめてほしかっただけ”の存在だった。





沙月の眼は、元に戻った。


「……もう、声は聞こえません」


結はほっと息をついた。


楓は落し岩の封印を改めて強め、村に“祠として祀るよう”伝えた。


「もう、誰かを“見失ったままにしない”ために」





帰り道、結は静かに言った。


「見られるって、怖いですね。見られたくないものまで、見えてしまう」


「それでも、人は誰かに見てほしいと思うものさ。

見つけられないまま忘れられた者の想いが、妖になるんだ。

…結は何が見えた?」


結は、遠く霞む村を振り返った。


「……獣の眼の中には、人の哀しさがありました」


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