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室町異聞  作者: 辻桃
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夢見草の宿(後編)



 夢の中。


 結は気づくと、花街に立っていた。すべてが仄暗く、煙が漂っている。


 そして、どこかから囁く声。


 「結……あなたは、何者なの……?」


 声の主は見えない。ただ、誰かがこちらを見ている。そんな気配だけがある。


「……私は、私よ」


 答えながら、二刀を抜く。


 目の前に現れたのは、紅音に似た顔をした“女”。けれどその顔は、歪んでいた。


 目だけが真っ赤に染まり、笑っている。


「あなたの“名前”、いただくわ――」



 結の身体が宙でうなされる。香がさらに強まり、幻が現実に浸食する。


「まずいな。これはこのままじゃ引きずられる」


 楓は袖を捲り、指を噛み切って血を滴らせた。


「天地を裂くは我が意、四象を鎮めるはこの符。――封」


 血で符を描きながら、低く静かに呪を唱える。


 符が閃光を放ち、香の壺が爆ぜた。


 ――同時に、結がはっと目を覚ます。


「は、ぁっ……!」


「戻ってきたね。大丈夫かい?」


「……師匠。夢の中で、紅音さんに似た女が……」


「なるほど。紅音くんに似た“妖”……。やはり、ここには名を喰らう夢魔が棲みついていたか」


「……どうするんですか?」


「追い出すよ。本体ごと、きっちりとな」



 翌朝、紅音の部屋。楓と結は再び訪れた。


 紅音は扇で口元を隠し、いつもの微笑みを浮かべていた。


「お帰りなさい。夢の世界は、どうだった?」


「おかげさまで、悪夢だったよ」


「まあ、それは残念。お茶でも淹れましょうか?」


「結構。香の匂いがまだ鼻につく」


「随分と失礼ね」


 二人の会話は表面的に穏やかだが、その下で互いの意図を測りあっていた。


「夢魔は、紅音くんに化けていたよ。君は知っていたんじゃないか?」


「……気づかないふりをしていた、が正しいかしら」


「ほう。随分と無責任じゃないか」


「私も、誰かを“救う”役じゃないもの」


 そのとき、結が口を挟む。


「……でも、あの夢魔、確かに紅音さんに似てた。あれ、偶然じゃないですよね?」


「ええ。名を食らうには、強い“印象”が要る。私は……ずっと、そういう存在でいたから」


 紅音の目が、わずかに陰る。その一瞬、結の胸に痛みが走った。


 しかし――その空気を破ったのは千早だった。


「お紅さん、そういう風に笑うの、やめてください!」


 突如、大きな声。皆が振り向く。


「……あの人たち、あなたを心配して来てくれたんですよ? なのに……!」


「千早」


 紅音が静かに手を伸ばし、彼女の頬に触れる。


「ありがとう。でも私は、平気」


「……本当に、そうなんですか」


 千早の声は震えていた。その眼差しに込められた想いは、紅音にも届いていたはずだ。



 数日後。


 街には再び平穏が戻った。死人は現れなくなり、宿には客が戻った。


 紅音は何事もなかったように花魁として舞台に立ち、千早はその傍で変わらず給仕を続けている。


「じゃあ、私はこのへんで。君の“影”も、ひとまず消えたようだから」


「ふふ、いつも勝手ね、楓」


「お互い様だろう? 紅音くん」


「……またいつか、夢の中で」


「そのときは、もう少し手加減してくれよ」


 二人は皮肉混じりに笑い合う。


 そして、結がこっそりと千早に尋ねた。


「その、紅音さんって……いつもあんな感じなんですか?」


「はい。でも、あの人の全部が嘘だとは……思ってません」


 結が小さく微笑んだ。


「私も。あんな風に可愛がってもらったの、初めてだったから」


「……っ」


 千早がほんのわずかに眉を寄せたのを、結は見逃さなかった。


(……あ、もしかして……)


 ふと、心の中で何かが繋がる。


「……また来ますね、千早さん」


「……はい。また、どうぞ」


 ぎこちなく微笑んだ千早の頬が、ほんのりと紅く染まっていた。



 楓と結が去った後、紅音がぽつりと呟く。


「ねえ千早。私たちも……夢を見ていたのかしら」


「……違いますよ。これは、現実です」


 その言葉に、紅音はひとつ目を伏せ、また微笑んだ。


 煙のような、掴めない微笑みだった。


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