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過日記  作者: 湖ポルル


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20140402逆に考えれ

逆に考えれ


2014年04月02日12:18


全体に公開みんなの日記8 view

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「憶測の歴史年号を1ケタ単位で暗記」これって意味あったの?と思う学校の授業

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=60&from=diary&id=2826944


学校で教えることの全部が面白いと感じる人はすくないだろうけど、どれか1つか2つくらいは面白いと感じるものだ。

その面白いと感じたジャンルが、一人一人を形づくる土台となっていく。


大人になってから触れた知識は、良くも悪くも狭く深くの性質がある。

そしてそれらは、学校で教えることよりずっと、畑違いの人から見れば、どうでもいいことだったりする。


ほぼ全ての人を対象に、提供される情報としては、学校で教える内容は、よく吟味されている方と言える。

例えば我々が、いまの授業科目に1つだけジャンルを追加してよいと言われたら、何を追加するか? 何を追加しても、蛇足であるように思えるのではなかろうか。


また一方で、学校での勉強には、学力のテストや試験というものがある。これは当人たちのためというより、大人社会の都合で行われている傾向が強い。

だから悪くとられることが多いが、教育もまた社会の一大事業である以上は、当人たちだけが気分がよければいいというものではない。それに、テストや試験があるからこそ、当人たちの学問が深まるのも事実だ。


プロのスポーツ選手や芸能スターは、多くの収入と名声を得るものだが、彼らはいつでも、人口のわずかな比率を占めるに過ぎない。

社会の大部分はスターでも名選手でもアーティストでもない人々である。特別な才能を持たずとも、勉学に励めば評価されるグラウンドが用意されているのは、多くの人にとって幸運なことではないか。


教わる側も、教える側も、そのことを意識せぬまま時間が過ぎて、そのことの価値が忘れ去られようとしている。

社会の一人一人が、そのことの価値を考え直す必要がありそうだ。

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