20170615こいねがわくは正しきを
俳優小出氏の不祥事、相手方の少女の素性が広まり、世論が分かれる結果となった。
男の方が一般人だったら、この件は単純に男側の責任として決着がついただろう。どこにも言い訳ができる余地はないからだ。
俳優が有名であったため、話が妙な方向に展開した。
相手の少女の素性が斯々云々であるから、男側の罪の軽重が変わるというのは、本来おかしい。
この事件を、別の政治的思想に絡めて吹聴することも、大きな危険を伴うことと言える。
なんとなれば、事実確認のしようもないネットの世界において、「架空の被害者(または関係者)像」を作り出すことは、事件の真相を伝えるよりも、ずっと容易いことだからだ。
イデオロギーの傀儡と化した者達にとっては、実在しない関係者の姿を捏造し、流布する程度のことは何でもない。
その不確かな情報を受け取った世人の一部が、血気に逸って新たな傀儡になる。
無論、今回の事件についての一連の経過が、必ずしもそうだと言うわけではない。
しかし俳優側、言い換えれば加害者であり社会的強者の側が、仮に世論の矛先を反らせたいと思うなら、相手が「憎まれ役」になってくれることは、願ったり叶ったりの展開であることだろう。
マスコミが第一報を報じなければ、誰も知らなかったに等しい今回の事件で、登場する人物や出来事が逐一真実の姿であるかどうかなど、我々に分かるはずがない。
この先、淫行関連にせよ違うにせよ、当事者の間に社会的強弱がある不祥事や事件が起きた場合に、憎まれ役の被害者像を利用することで強者が不正に有利を得るような社会は、健全でもなく有望でもない。
健全な社会とは何か、
有望な社会とは何か、
思い描かれるその姿がどれほど現実とかけ離れていても、
いまこの時に一人でも多くの人が沈思黙考することで、
闇は退けられ理想は形作られていく。
恐怖と名の付く法案が、面を上げて歩き始めたこの日に、人間性もまた生まれ変わらなくては、季節が冬に向かうように、世は色褪せて行くだろう。
我々は過ちを繰り返さない。
我々は未到の高みへ辿り着いてみせる。
我々が言わなくて誰が言うのだ。
理知の光で世を照らしてみせると。