20140421jade
jade
2014年04月21日03:34
全体に公開みんなの日記22 view
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例えば、反日と呼ばれる某国のタレントが、日本に来て公演するとする。
彼がインタビューで、「私は日本が好きです」と言ったとする。
すると、彼の発言は信用されず、リップサービスに違いないと評価される。
反対に、同じタレントが、「私は日本が嫌いです」と言ったとする。
すると、彼の発言はただちに真実とされ、やはり某国の人間だ、と評価される。
一見、筋が通っているようだが、これはおかしなことだ。
結局のところ、評価する側の日本人が、
信用したい発言だけを信用し、
疑いたい発言だけを疑っているにすぎない。
都合の悪いことは信用せず、
都合のいいことは信用する。
本来であれば、信用できないのはそのタレント本人であるのだから、彼の発言は評価する側の日本人にとって都合が良かろうが悪かろうが、同じように信用できない筈だが、そうはならない。
これではとても理性的な判断とは呼べない。
理性の光を失った目で、我々は何を見ているのだろう。
反日云々だけでなく、様々な場面で、同じような判断がなされている。
どこで食い止めるべきか。思案を進めなくてはならない。




