20140517オールドランド
オールドランド
2014年05月17日13:13
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■イスラムからキリスト教に改宗した妊婦に死刑 スーダン
(朝日新聞デジタル - 05月17日 08:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=2885826
権力者が宗教を管理するとろくなことはない。
敬って遠ざける、という姿勢の利点にいち早く気付いて、そのやり方を貫いた徳川幕府は流石だった。
イスラムにしても開祖存命の頃から既に、異教徒に対しては「納税か改宗か」を求めていたそうで、俗に言う「コーランか剣か」は後世の貼ったレッテルに過ぎないという。
もちろん、納税も改宗も拒んだ相手には武力を示したのだから、平和主義とも言い切れないが。
宗教の問題に限らず、対立する二者の片方が正しく、他方が間違っていると互いが主張し合うような事柄は多い。近年の日本でも、そうした主張のぶつかり合いは顕著に見られる。
どちらの主張にも靡かない人々は、これも死語になったがノンポリと呼ばれ、そうした人々を味方につけるために、ますます二者の対立は激しさを増していく。お互いの非を鳴らし、自らの主張を金城湯池の如く固めて、正論の刃で鎬を削り合う。
己の信ずるところを信ずる、尊い意思から始まった主張が、いつしか押し負ければ我が身が危うくなるような、凄惨極まる争いの理由になってしまう。
一方が本当に正しく、他方が全くの間違いであるのなら、前者の正しさは決して覆ることはない。
決して覆らないなら、彼らはもっと余裕があっていい。
相手の立場に我が身を置いてみて、愚かしい対立や、無慈悲な仕打ちを、お互いこれ以上続けるべきではないと、考え直すことができるはず。
双方ともそれが実行できないのは、双方とも絶対的に正しくはないことの証拠ではないかと近ごろ思う。
双方とも絶対的でない以上、価値観のバランスは弱者の方に振れるもの。
ネットサーフィンなんて言葉もとっくに死語と化したけど、終わることのない論争の場を、あらためて波に例えてみてもいいかもしれない。




