20140912春よ来い
朝日
2014年09月12日02:18
全体に公開みんなの日記42 view
編集する
朝日新聞社長が謝罪 辞任示唆
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3049352
吉田調書については朝日が早かったので、公開されてすぐに読んだ。
個人的な感覚としては、撤退とか命令違反という点については印象に残っていない。
結構ボリュームのある記事だったし、全体で見れば特に「撤退」を非難する調子や、命令違反を吹聴する姿勢は目だっていなかったと思うが、これは読む人によるのかもしれない。
原発事故については、当時は大手の新聞は右寄り左寄りを問わず軒並み沈黙してしまって、自主規制か圧力かは知らないが、日本でもこれほど情報が止まることがあるのかと、暗然たる気持ちになったことは未だに覚えている。
あれから3年が経ち、このまま闇に消えるかと思っていた事故当時の現場の様子が、スクープとして朝日から報じられたことは、少々意外であった。今回、社長の謝罪と辞任表明に至った背景には、もう少し複雑な事情がありそうに思う。
ついでのように語られた、慰安婦についても私見を残しておこう。
他国の軍隊が、ある国を占領し、その国の経済を操ることができるようになると、住民たちの生活水準や、金の流れも占領した者達の思うがままになる。
慰安婦については、強制であったか否かが論点となる場合が多いのだが、その判断基準は必ずしも重要とは言えないのではないか。
仮に、強制の事実が一切なかったとして、また仮に巨額の報酬が全員に間違いなく支払われていたとしても、やはりその存在は戦時下、占領下という特殊な状況が生み出したものであって、正当化できるものではない。
家族を貧困から救うため、娘を犠牲にする親や、自らが犠牲に志願する娘を、自己責任と片付けてしまって良いものだろうか。
経済を操ることができるということは、降り止まぬ雪のような貧困を、その国の人々の暮らしの上に、好きなだけ積もらせることができるということでもある。強制の有無や、飢えに凍える人々の自己責任に一体どれほどの意味があろう。
まあ朝日の社長の発言が、同じ意味で言われているのかどうかはよく判らないが、一読してそんな風にも見えたので、覚書を兼ねて。
~~~~
朝鮮半島の統治について、すごい誤解されていると思うのですが、
たとえば、沖縄。あそこは元々琉球王国だったわけです。
で、今日本ですが、それを日本による「占領」とあなたは思いますか?
朝鮮半島も、占領ではなく、当時は日本となったのです。そして、日本並のインフラ整備等したわけです。
はっきりいって、何も儲けのないような場所で、日本は大量な金と労力をかけて、同じ国の地方としてあつかったわけです。
そして、もう一度現在の沖縄見るわけですが、沖縄の経済を日本が操り、生活水準や金の流れも占領した者たちの思うがまま。だという視点で見れますか?
米軍基地があるため、その負担金を名目に大量のお金を投下していますが、それは「思うまま」という状況でしょうか?
>家族を貧困から救うため、娘を犠牲にする親や、自らが犠牲に志願する娘を、自己責任と片付けてしまって良いものだろうか。
はっきりいって、当時の日本もそうでした。東北では娘を売るような事が多数おこりました。
これに対する義憤が226事件等の軍部若手将校の決起につながりました。
結局朝鮮半島で起こった問題、「貧しい故に娘を売る」という状況は、朝鮮半島だけで起こっていたわけでなく、当時の日本全体の水準です。
何故それを現在の日本の責任に押し付けるのか意味不明です。
悲しい歴史かもしれませんが、当時は国家そのものが貧しかったんですから、どうしようもなくないですか?
半島の女性ばかりが庇護されるべきなら、当時の日本全体にも同じ手を及ばさなければならない理屈となり、現実問題、不可能です。
我々に必要なのは自虐史観ではなく客観的な目ではないでしょうか?
~~~~
私は酷薄な人間ですので、慰安婦の方々に対する思い入れというものはありません。
現在の日韓関係、特に韓国の政治家の日本に対する振る舞いについて、当然のことながら呆れてもいますし、下品なものと感じています。
賠償の問題は、もはや商売の道具のようになっている観さえあります。
一連の出来事が、日本と朝鮮の問題でなく、別の国と国との間に起こっていたとしたら、それはどのように見えただろうかと、考えながら書くようにしています。そういう不真面目なスタンスですので、自虐史観というのは今のところ私には無縁のようです。
沖縄の件、よく分かる例えだと思います。駐留兵の起こす事件が騒がれることもありますが、それはあくまで特殊な事例であり、多くの人々の暮らしが基地の存在によって、また補助金によって豊かになっていると思います。
元来、統治者としての日本の政府に、一切の悪意も打算もなく、善意によって資金を投じていたとしても、より大きな資本の前では、その善意が意味をなさなくなりますね。
正義の背骨が金というのは、ずいぶん頼りないことです。
まとまりそうにないのですが、 まとめがわりに。
国全体が貧しかった頃も、金持ちはいました。身売りをするほどの者と、そうでない者がいました。現在でも、危険な仕事につくことが、唯一貧困から抜け出す道だと信じている人は無数にいます。歴史は今を映す鏡のようですが、鏡は所詮は鏡ですね。
乱文お詫びいたします。機会があればまた。
~~~~
返信ありがとうございます。
確かに、貧しい時代でも金持ちがいて、だから貧しい娘も売り先があったわけです。
貧富の差は問題ですが、当時も、そして今も社会主義ではありません。
社会主義の思想はずいぶん日本に入り込んで、蓄財の再分配は成功した国の方だと思います。
そういう国にむかって、「タカリたい」人たちは居ると思いますが、果たしてその国の人たちは幸せになれるのでしょうかね?
琉球独立を目指す人々は、琉球がまるで理想国家みたいな感覚ですが、そもそも琉球は清国の冊封を受け入れて同時に薩摩の支配に甘んじ、そのツケを国民である沖縄人たちに回していただけの、明治初期には破産国家です。
そういう事実の指摘もなしに独立だという主張が、狂った沖縄マスコミ(琉球王国の資本的な末裔)の影響で、まかりまちがって沖縄県民の中に通ってしまったら、とんでもない事になると思います。
すなわち、中国、韓国、(北朝鮮)に次ぐ第3(4?)の反日国家の誕生です。
そのような視点もあるということを念頭に是非さまざま事象をご覧下さい。
イロイロな事がわかります。




