20141214シキシャとマスコミ
シキシャとマスコミ
2014年12月14日00:53
全体に公開みんなの日記53 view
編集する
■城繁幸、やまもといちろう、宮台真司が「非正規格差がカワイソウなら、正社員の待遇下げろ」で一致
(キャリコネ - 12月13日 13:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3183881
外国では経済格差に由来する教育格差が日本とは比べ物にならないほど深刻で、辞書がなくては日常語すらまともに読み書きできない人々が、今日でも相当数存在している。
むろん、未開の小国の話ではない。G○○と括られるような、先進諸国での話である。
我々の目から見ればいかにもいびつな、そうした先進各国の人々も、日々の仕事の対価として給料を得ている点では我々と共通している。
貧困と教育格差が人格にまで影響を与えるか否かはさておき、彼らに与えられる仕事が極めて単純かつ薄給であることは、想像に難くないだろう。
かつて、新天地を求めて日本からアメリカに移り住んだ人々は、その安価な労働力と熱心な仕事ぶりにより、現地の労働者を次々と失業の憂き目に追い込んだという。
その結果、日系の移民に対する社会的な憎悪が生まれ、日常的に迫害と差別が行われた。大統領を目指す政治家たちでさえ、その迫害を国是とし自らの政策の看板に掲げようとしたほどだった。
教育には金がかかる。
社会保障と同じように。
その二本の柱を国民の生活から取り除くことにより、支配の構造を単純強固に完成させようと試みる政治家の例は、古今を通じ枚挙に暇がない。
資本主義の社会においては、政治と経済が特に緊密に関連しており、資本主義の後発である日本は、かつて欧米諸国の踏んだ轍を否も応もなく辿りつづけて今日まで来ている。
格差の拡大も、使い古された社会様式のお下がりでしかない。
歴史上、弱小の国家であればあるほど形式主義に偏る傾向が見られるそうだが、形式主義には文化を発展させる側面もあり、一概に欠点と見なすことは避けるべきだろう。また、そうした中小の勢力において必要とされる人材と、大勢力において必要とされる人材とでは、性質が異なっていて当然と言える。
昭和は遠くなりにけり、その現実を受け入れず、いまだに終身雇用を引き合いに出して語るのは、時代遅れと言うものだ。
大企業の広報にもなれず、中小零細の代弁者にもなれず、社会を俯瞰する見地にも欠け、あまつさえ己の先入観を現実と錯覚するようでは、識者どころか社会に出ることも覚束ない。政治への阿諛にしてはお粗末に過ぎ、自己顕示には不勉強が過ぎる。
日本のような国では、教育の衰退は、一般市民ではなく、自称識者や報道関係者にとって命取りになる。
その大局も見えないのなら、宿命としか言いようがないけれども。




