20171022明日のために書くこと
これは書くよ
2017年10月22日00:14
全体に公開みんなの日記241 view
編集する
■自民勝ち負け・魔の2回生…衆院選、注目の「数字」紹介
(朝日新聞デジタル - 10月21日 19:46)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4823674
秘書に対する常軌を逸した暴言により、自民党からの離党に至った例の議員が、今回の衆院選に無所属で出馬している。
実際のところ、前回の選挙の際に自民党がみずから作成した候補者たちのPRビデオの中でも、その人は明らかに国会議員としての適性と資質に乏しく見えており、それが当選したのは自公の党の力によっていたことは明白であるから、再選は99%ないと言っていいだろう。それはいい。
だが、先の選挙でそうした数あわせの不適格者を擁立し、当選後も国会議員として不適格な人格のままにしておいて、不祥事が起これば離党を促しておしまい、という自民の姿勢は、見過ごされてはならない傲慢さと言うべきではないか。
269の小選挙区のうちのたった1つのことではあるが、まずはそこの選挙区、埼玉四区の民にこそ深く考えてもらいたい。
あのような数あわせの不適格者を候補にあてがわれたということは、その区の民は政府からどのように見られていると思うべきか。人を見る目の肥えた、軽視すべきでない選挙区民か。それとも中身のない候補でも出しておけば当選させてくれるような、おめでたい連中の集まりか。
無論後者のように見られているだろう。
ではそうした選挙区に住む者たちを、政府はどのように扱うと考えるのが妥当だろうか。
厳しい選挙戦を強いられる他の地域よりも優先して、税制面での優遇や開発を行い、埼玉四区の住人を喜ばせようとするか。それともチョロい選挙区とタカを括って、なにごとにつけても後回しにするか。
無論後者のようにするであろう。
今回、あのような不祥事が起こったにも関わらず、はっきりとしたお詫びや再発防止の意思表示を、政府が行わなかったとすれば、それは埼玉四区に対する党としての見方が、改められたことの現れか、それとも逆か。
無論改められてはいないだろう。
改められていないのなら、どうして今回の候補者が、前回と同じような数合わせの不適格者でないと判断できようか。
そんな中で今回も、暴言議員の後釜が当選するようなことになれば、そこの選挙区民はいよいよ侮られ、なにごとにつけてもいっそう後回しにされるようになっていくと予想される。
その可能性に怒り、危機感を覚えることが、革命を知らない世代の民主主義にはどうしても必要なのであり、その思考が時の政権にとって不都合なものである以上、意識の改革と教育は、民の間で行われる必要がある。
選挙とは、国防や消費税などの大がかりな議題に対してだけ影響するものではないし、ましてや議員同士、政党同士の罵り合いを聞かされるためにあるのでもない。
国民をなめてかかったら痛い目に遭うのだと、政治家達に思い出させる場でもあるのだ。
見るに堪えない揚げ足の取り合いで、国会の時間が空費され、破綻した論理を首相以下大勢の国会議員が平然と主張して恥じない今のような時代だからこそ、国民一人一人が選挙の浄化作用について認識することが大切ではないか。