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過日記  作者: 湖ポルル


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20150212末法の世にありて

末法の世にありて


2015年02月12日12:22


全体に公開みんなの日記211 view

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やはり「ISILも“普通”のイスラム教徒も根本は同じ」なのだろうか

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=85&from=diary&id=3269871


日本人にはムハンマドや預言者、使徒と言ってもそれがどんなものか実感しにくい。


では預言者ではなく、例えば「肉親」や「恩師」が公衆の笑い者にされるとしたら、黙っていられるだろうか。


他の誰かの肉親や恩師であれば、自分のではないから、「黙っているのが日本の国民性」と嘯くこともできようが、実に冷酷な態度と言わざるを得ない。

敬愛する誰かが笑い者にされてようとしていて、もし自分の声がそれを阻止できる可能性を少しでも持っているのなら、「おい、やめてくれよ」と声を上げるのは、人情として当たり前ではないか?


その当たり前の人情と、殺人者たちの思考回路を、同一視するとは一体どういうわけか。

「おい、やめてくれよ」に続けて、「やめなければ死をもって償わせるぞ」と言う人と、そうでない人がいることの違いも分からないというのだろうか。

それでは到底理性的とは言えない。人間社会を知っているとも言えない。理性的でもなく、人間社会のありようも知らないのでは、宗教を論ずることは難しかろう。


八百万の神を含む森羅万象を擬人化して楽しむことは、直ちに現代の日本人の優秀さや幼稚さを表す根拠とはならない。どのような名の神であれ、それが時代を越えて生き続ける人々の美徳の総体であることに変わりはなく、信心や信仰心と呼ばれる個人の感情が、本質的に美徳であることも共通している。

付け加えればイスラム教とキリスト教、他にも幾つかの宗教が絶対者としている神は同一のものであって、それらの宗教間での対立は、コーランにある多神教についての非難とは直接関係していない。


思想と信条、歴史と人情とが複雑に絡む宗教についての話題を、短い言葉で述べることは実に困難だ。

せめて現代を生きる者の義務として、それが困難であることを前提に、そうした言葉を見聞きする必要がある。

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