20151214ネビニラルの円盤
ネビニラルの円盤
2015年12月14日00:56
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日本は移民政策が必要、労働力確保で中国に負ける可能性=河野担当相
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=3753994
「読み手を急かして判断を誤らせるのはミスリードの基本」中国に負ける、とは実のある言葉か。移民が労働者となり、日本人は親の介護に回る。しかしその日本人の収入はどうなる。国力とは何か。税金だけでは確実に足りない。
それとも、移民が日本人高齢者の介護を担い、日本人は労働者として勤めるか。だとすれば、日本人労働者は親の介護役として移民を信じなくてはならない。だとすれば、移民は介護を生業として十分に生計が成り立つだけの風土が日本に完成していなくてはならない。
考えてみるがいい。
いかに歴史的政治的軋轢があるにせよ、移住後半世紀を経た外国人やその子孫にさえ、自らの親兄弟の介護看護を一任したいと思える日本人は多くはあるまい。またそうした精神風土の我が国だからこそ、帰化外国人や移民に対する認識もまた、容易に改めることはできない。
今、性急に移民の受け入れを決定することは、徒に国内の混乱を招き、行政への不信と不満を募らせる結果に繋がる。同じ痛みを伴うなら、国内で完結する新たな枠組みを、少なくとも示してから次の段階へ進むべきではないか。
閣僚が労働力を語り、中国との競争力を語る時、その前提に日本国民全体の、破滅的な経過を伴わずに済む人生の姿は考慮されているのか。或いは一部なりとも救うためと、開き直って言うとすれば、今日欧州で起きている酸鼻を極めた情況を、いかにして回避する計画なのか、それを明らかにして然るべきだろう。
かつて、そう遠くない過去において、過激派の活動は日本でも、今よりずっと盛んだった。
都心のビルで爆弾が爆発し、大手企業に勤めるエリート達が多数負傷した事件もあった。TV中継の最中に、時の大臣が殺害される事件さえあった。放置車両に爆発物が仕掛けられる事件などは、日本各地で数えきれないほど起きていた。
労働人口に対して、既に有り余るほどの富がこの国にあるのなら、どうして今この時に公共事業を拡大する必要があるだろうか。工業化が進み、必要な労働人口は本来であれば減少傾向にある筈で、仮に十分な富がこの国にあるのなら、どうして貧困層は拡大し続けているのだろうか。日本の造船業が衰微したのは、人手が足りなかったからではない。利益を上げられる程度の人件費で使役できる労働力が足りなかったからだ。このような例は無数にあるし、労働力の不足とは結局のところ、このような例を指している。移民に対して行政が期待するのは、そうした意味での労働力であることは間違いない。
今、賃金の安い生業を忌避し、より有利な条件での労働にこだわっている層は、移民の受け入れにより労働力の相場が下がることで、一層の困難を余儀なくされるだろう。
今、賃金の安い生業に耐え、慎ましく生計を営んでいる層は、移民の受け入れにより労働力の相場が下がることで、一層の節制を必要とするようになるだろう。
新たに国民の一員となる移民たちは、水準以下の生活と、十中八九は猛烈な差別意識の矛先に耐え続ける生活を、当分の間は甘受せざるを得ないだろう。
治安は乱れ、労働意欲は減衰し、社会保障は破綻して、企業でさえも迫り来る衰退を免れることは最早できなくなる。そうなれば経済本位の政策を取り続けている日本はどうなるか。
何か、肝心な一段階が、この流れの中から抜け落ちている。いずれこの国が真に開かれた国家となり、父祖の血筋も肌の色も関係のない平等な社会が実現するとするならば、欠落したその一段階が何なのか、今こそ立ち止まって考えなくては手遅れになる。




