20160112老いたる標と風の分岐
老いたる標と風の分岐
2016年01月12日00:08
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トランプ氏が米大統領になったらイスラム教徒は…インタビューで“ナチズム”露呈
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=103&from=diary&id=3798450
少なくともヒトラーはドイツの主流派であったゲルマン民族を厚遇したが、アメリカの場合は元々が人種のサラダボウルであるから、ムスリムを一元的に管理したところであまり意味がない。
ISの賛同者は社会的弱者が多く、貧困や迫害を淘汰できなければ、ネットを介しての散発的なテロはなくならないだろう。
文明とは、国境を越えて広がっていくものだとある人が言った。
そして文化とは、一個の国内で存続していくものであるという。
真にグローバルな社会とは、個々の国々が醸成してきた文化同士が世界という舞台でぶつかり合い、火花を散らし時に砕けながらも、最後には渾然一体となって形成される社会のことである。
アメリカという国はよくも悪くも、そうしたグローバリズムを単独で体現してきた文明国家だった。世界で唯一と言っていい。
ひと一人の人生について言えば、幼い頃は家庭や地域社会という文化の揺りかごで育ち、青年期を経て社会という文明の舞台に躍り出ていく。
そして社会での時期が過ぎれば、再び文化の揺りかごを恋慕うようになる。文明への賛美から文化への回帰へと人の心が動くとき、それを老いと呼ぶのだろう。
いまのアメリカには老いの影が見える。
インターネットという史上類を見ない巨大な文明を提示した代償に、アメリカは国家としての文化への回帰へと偏向を余儀なくされたようでもある。
強靭な国家故に行く末の再生はするにせよ、それには相応の時間がかかる。
一方で世界各国の趨勢は、これまでのアメリカ的グローバリズムに傾いていく。見方によってはアメリカは、一つの役割を終えたのだと言えないだろうか。
大統領選の結果がどうなるにせよ、恐らくはアメリカが老いの最中にあるであろう2020年に、奇しくも日本では五輪開催が予定されている。
国際化の試金石とも呼ぶべきこのイベントに際し、文明国のお手本を失った日本は、独力で未踏の地へと踏み出さなくてはならない。やがて訪れる真のグローバル社会で、我々が輝きを放つか地に埋もれるか、昭和の大賢人たちが予見した分水嶺を越える時が、目睫の間に迫っている。




