20160115明日のために書くこと
明日の為に書くこと
2016年01月15日04:08
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■「慰安婦はビジネス」=自民・桜田議員が発言
(時事通信社 - 01月14日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3802905
倫理を排して考えてみる。
自国が諸般のリスクを顧みず、他国を侵略したとする。
その地で優位な立場になるのは、侵略した方か、された方か。無論前者であろう。
被侵略国の国民は、支配下に置かれる。
彼らの収入の総和は以前より増えるか減るか。無論減るであろう。
仮に職業に賤なるものと貴なるものがあるとして、侵略国の人々は、そのどちらに就こうとするか。無論貴なる職業の方だろう。それらの職業は、程度の差こそあれ、支配者たちに寡占または独占されるだろう。
被侵略国の人々は窮乏し、仕事を選んでいられなくなる。以前は賤職とされてきた仕事をしてでも、生活の糧を求める人が増えるだろう。
家族や親しい友や恋人が、そうした道を選ぶことを、被侵略国の人々は望ましいと感じるか、それとも嘆き悲しむか。無論嘆き悲しむであろう。
たとえ、惨たらしい暴力や、犯罪行為が一切なかったとしても、侵略という手段によって他国を支配下に置くということは、慎ましく生きてきた人々の暮らしを、根底から覆すということだ。
そのような状況下にあって、より一層辛い目を見るのは、善良な小市民か、それとも軽蔑すべき悪党か。無論前者であろう。
例えば記録的な不作により、農家が子女を養っていけなくなるのは不幸なことだ。
その原因が不作ではなく、何者かの人為的なものであったとしたら、不幸は軽くなるだろうか。無論ならないだろう。
貧困層が軍に志願し、貧困から抜け出そうとする例は多い。危険を伴う選択だが、それは自由意思と呼ばれる。誰も彼らに、兵役を強要しないからだ。
たとえ他の道を選ぶことが、どれほど困難だったとしても、選択の自由だけは残されている。持たざる者達の、選択の苦悩など、富める者にとってはどうでもいいことだ。貧すれば多くの者は、不利益な選択でも選ぶようになるのだから。一部の高潔な例外など、放っておいても差し支えない。経済の首もとを鷲掴みにしてしまえば、民衆を操ることは容易い。生かさず殺さず、損を被らせておけばいい。
軍への志願が、他の事柄であっても事情は大差ないだろう。
仮に戦争をするとして、それは自分の国の利益のためか、それとも相手の国の利益のためか。
支配するのは自分の利益のためか、それとも相手の利益のためか。
都合の悪い前提は棚に上げて、人の心を埓外に置き、ビジネスなどと口走るとは、軽薄と言わずしてなんと言おう。悲しむべきことだ。




