20160506五月コトノハ
五月コトノハ
2016年05月06日04:40
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■感情表現は「キモい」「ウザい」「ヤバい」3ワードのみ 子供たちのボキャ貧が深刻化
(産経新聞 - 05月05日 20:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3978654
うちの子は読解力がない、という親御さんは多いが、読解力とは何か具体的に問うと、意外と答えられないケースが目立つ。
読解力とは自分の言葉に言い換える力のことだ。
だから難解な語彙を少数身に付けているよりも、平易な言葉をある程度以上の数だけ習得している方が、読解力は高いと言える。
国語の問題には、本文中のやや難しい単語や慣用句を引用し、これはどういう事か、と直接的または間接的に問われるものがある。
このような問題では、ひとまず引用された言葉を自分の語彙で置き換え、それから設問に答えることが正道になる。その手順は数学の公式のように、一定以上のレベルの問題では必要不可欠なものなのだが、国語は感性で解くものという誤解が広く浸透しているため、家庭教育の場だけでなく、学校の授業に於いても、また多くの参考書にあっても、言い換えの重要性は忘れられがちだ。
また、英語の簡単な文章を見たときに、ことさら堅苦しい日本語に訳そうとして四苦八苦する生徒も、よく見受けられる。彼らは一様に、意味は分かっているが上手く日本語にできない、と言う。
将来翻訳家にでもなるつもりでなければ、英文読解などはもっと平易な日本語に置き換えるだけでいいものを、直訳の過程を経ず一足飛びに意訳しようとするから、ますます英文が読めなくなる。
産経は子供たちの語彙が減ったと書いているが、その認識には一部誤りがある。
子供たちの頭の中には、言い換えに必要な語彙そのものは大体入っている。ただし大半の子供たちは、それを用いる機会が足りない。
国語では平易な言葉よりも難解な表現を尊び、英語では直訳を省略して意訳だけを教えるが故に、生徒たちは等身大の言葉を公の場で用いる機会に恵まれないまま、学年を重ねていくことになる。
語彙力の低下がセンセーショナルに報じられる世相にこそ、この通弊の禍根が如実に表れているとも言えるだろう。
国語は跳び箱、とある人が言った。
実際に用いて初めて練習になり、体得できるという意味で、両者は似ている。
練習の場を与えられないまま、或いは練習での失敗さえ許されないままでは、何年学んでも習熟は望めない。
何事も効率化の時代に、実技科目としての語学教育は骨が折れるに違いないが、そもそも奥ゆかしさを是とする日本語を基とするからには、他国よりもなお一層に、練習の機会を多く設けて言葉の力を養っていかなくてはならないだろう。
色鉛筆のセットがやがて短くなるように、とりどりの平易な言葉を使い慣らしてやればいい。それらの言葉が下地となって、語彙というのは加速度的に増えていくものだ。
現代用語に振り回される社会人が、身の丈に合わない言葉を吐き出しながら、若い世代の批評をしているだけでは、五十歩百歩の謗りを免れまい。




