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過日記  作者: 湖ポルル


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20131101海と盃

海と盃


2013年11月01日19:04


全体に公開みんなの日記7 view

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山本議員「違反意識なかった」

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2635597


政治利用でない、か。


たとえば、道行く一人の男性に、同じ主旨の手紙を手渡したとしても、それは相手の意識を手紙の内容に向けさせ、次の選挙の投票先を判断する材料を1つ与えたことになる。


今回手渡された手紙が読まれるかどうかはわからないが、天皇の意識が手紙の内容に少しでも向いたとして、その結果今後の活動に少しでも違いが現れるとすれば、政治利用と言われても仕方ない。

よく引き合いに出されている田中正造は、政治利用を百も承知で、その時彼が伝えなければならないと信じたところの旨を手紙にしたため進上したのだろう。


山本議員は、今回の件がなかったとしても、議員として勤める期間は長くないと自覚していたのではないか?

今回の件で議員の職を解かれることになっても、さほどの痛痒はないと考えていたように想像される。

元々がパフォーマーであり、目立つことによる有利も不利も当然知っているだろう。過激派が彼の安全を脅かすかもしれないが、その危険に見合ったメリットが見込めるなら、実行を躊躇わない。

他の場面ならともかくも、皇室が関係する場面では危うい行動原理と言わざるをえない。


ただ、原発つながりで言うのではないが、ここに1つの例を挙げる。

小泉元総理が、今になって脱原発を唱えているが、彼は放射性廃棄物の処理について、在職中は知識が十分でなく、その困難さを知ってから脱原発に転向したのだと述べている。

この言葉が嘘であるのなら論ずるまでもないが、仮に本当にそうだったとすると、社会的地位の高い人でも、案外知らないことが多いということの証明になる。

いま、これだけ廃棄物処理の問題が世の中で騒がれているが、政治の舵取りをする人々が、必ずそれを熟知しているとは限らない。もしかしたらその点に限れば一般人よりも知識が浅いかもしれず、浅いままでいなければ政治の舵取りなどはできない可能性すら考えられる。

かくして、本人に悪気や腹黒い計算が一切ない場合でも、一番の決定権を有している総理在職中には推進派、その職を辞してからは脱原発派という変節は起こりえる。

ある時点での知識の不足により、誰でもそのような変節が起こることが許されるのであれば、知識を伝えようとすることもまた、許されなくてはならないだろう。伝えようとする者と伝えられる者の社会的関係がどんなであろうと、それは変わらないはずだ。


皇族が福島や東北の現状と未来を深く案じておられると伝えられれば、相当多くの人々の心に大なり小なりの影響を与える。勇気付けられる人、襟を正す人、無関心から興味を持つようになる人、様々な影響があるだろう。

国民を案ずるという点において、山本議員の手紙と行動は、大海に一滴の水を落とした程度のものであり、そういう意味では政治利用ではないとも言えるが、その言い分を山本議員自身が主張するのなら、同時に自分の行動はパフォーマンスに重きを置いたものでした、と認めることになってしまう。


視察という名目で、たびたび現地を訪れることがあっても、詳しい事情が全てわかるとは限らない。その視察では見えなかったかもしれない知識を、伝えようとすること自体は禁じられるべきではない。ホームページにアップするのと、直接伝えようとするのでは、確実性が違うのも事実だ。

一方で、現代の皇族は、その重責にもかかわらず、法の上の立場においては、ナーバスな性質を持ち合わせている。皇族の政治利用は、その立場を毀損する可能性を秘めており、これを慎まなくてはならない。


期せずして今回のことは、皇族の役割と、その独特な権威について、国民があらためて考えるきっかけとなった。

「前例がない」とか、「非常識である」とかいう国会での意見は当然正当なものだが、そこで納得してしまっては「なぜ問題なのか」が不透明なままになってしまう。

一歩踏み込んで事情を考察することで、今回の山本議員の行いの問題点も明らかに見えてくるし、逆に長いものに巻かれることの危うさからも一定の間合いを取ることができる。

この客観的な立場をも保障しているのが、とりもなおさず皇族の存在であるからには、個々の形式はどうであれ、それを尊重すべきは当然のことだと言える。


ただ、こういう日本独自の社会の構造を存続させていくことは、簡単にできる話ではないだろうな。

あの20年毎に建て替える神社のように、深い知恵に根差した優れた制度があり、かつその制度に対して人々の敬意が払われ続けて、ようやく時代を越えていける。

そのことも併せて記憶しておかないといけない。

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