20131116追想3.11
追想3.11
2013年11月16日09:40
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■被曝の新基準 場の線量から個人の線量に
(読売新聞 - 11月16日 01:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2652891
原発絡みの記事でだけ、このあからさまに独善的な文体が出てくるのが読売。
ポストセブンはいつもこんなだけど。
被曝の基準がどんどん緩くなる。
放射線による悪影響は後になってから現れるというのが常識だというのに。
事故の直後は、国会議員や大臣も、原発に対して何をすべきなのか分かってない様子だった。それは無理もないことだ。
消火と応急冷却の為に現地入りした消防隊の隊長は、帰還後の記者会見で泣いていた。手探りのまま警察の放水車や自衛隊のヘリなどが次々と派遣された。
専門家や国に任せておけば大丈夫と思うのは錯覚にすぎない。多くの人が、そう感じたのではないか?
問題が起きた時の対策は、専門家の方々が当然かつ完璧に講じてあるはずだと、そういう錯覚が皆の中にあった。
しかし実際は手探りの連続だった。
これは誰かを咎めれば済む話ではない。
こと原発に限った話でもない。
教訓として誰もが覚えておかなくてはならないことだ。
国民一人一人は、専門家にはなれないけれど、あの時の教訓が活きているかどうかは、チェックすることもできるだろう。
廃炉の作業が難航している一方で、帰還への法整備が進められようとしている。
問題が起きた時の対策は、また後回しになっていないだろうか。




