賢者の憂鬱
僕が瞳を開くと、あたりは陽だまりに包まれているかのように、とても明るかった。どこか異国を思わせる室内。色とりどりの花や本が、何故かフワフワと浮いている。暖かい布団に包まれて、僕の気分もふわふわとしている。
「天国かな……」
「あ、起きた?」
僕は誰かの声にギョッとして、ベットから飛び起きた。その勢いで頭を壁に強くぶつける。
「いッ!!」
「あら? 大丈夫?」
僕は涙目になりながら、声の主を探した。
「……え?」
驚いて自然と声が出てしまった。なぜならそこにいたのは、俺が長年片想いしている女性にそっくりな人だったから。いいやしかし、先日見かけた彼女と比べて随分と髪が長い。それに彼女よりも目の前にいる女性の方が、若干だが大人びている気がする。
「大きな音がしたけど大丈夫ー?」
銀髪のイケメンが室内へと入って来た。
「あ、勇者様。今この子が頭を壁にぶつけたの」
「ふーん」
勇者と呼ばれたイケメンは、興味が無さそうに相槌をした。そして僕を冷たい瞳で見つめる。
「君さ~聖女様に感謝しなよ? あんな怪我どうして負ったのか知らないけど。聖女様の異能が無ければ、確実に死んでたから」
「え? 怪我ですか?」
「うーん、やっぱり覚えてないか。出来るだけ記憶が残るように頑張ったんだけどな~」
聖女さんは「脳の記憶領域が……」などと話をして、勇者さんは慰めの言葉をかけている。
対して僕の頭はパンク寸前だった。いったいここはどこ? なぜ物が浮いてるの? どうして想い人にそっくりな人がいるの? なんで怪我なんて負ったの? まず勇者や聖女って何?
「まあとりあえず、私からこの世界のことを説明するね」
「この世界ですか……?」
「うん、ここは地球じゃないよ」
「え!?」
つまりどこ!? やっぱり天国だろうか。
「あ、ここは異世界だよ。つまり君は異世界転移したってこと! たまにいるんだって。自然転移の人」
僕の動揺に気付いたのか、聖女さんはすかさず言葉を紡いだ。紡いでくれたけど……。
異世界!? いやいや異世界て! 自然転移て! そう言われましても!
「この世界では科学とかの概念が無い代わりに、魔法がとても発展してるよ。物も魔法で浮かしてるの。……と言っても、私は魔法が全く使えないけどね」
「聖女様は異能が使えるから凄いじゃん! 唯一無二だよ!」
「そうかな~」
聖女さんは宙に浮いている花を、指先でツンツンと触った。勇者さんは、花瓶に生けてあった花を1輪手に取った。彼の手元に魔法陣が現れた後、その花が宙に浮かぶ。
……なるほど。ここは確かに異世界ですわ。
「君は賢そうだから、賢者君と呼ぼうかな~」
「え? 賢者ですか?」
「そうそう。この世界ではね。名前はとても大切なの。本名は信用できる人にしか教えたらだめだよ!」
聖女さんが微笑み、僕は頷いた。
なるほど。本名を教えちゃダメなのは、ファンタジー小説やアニメの設定で、よく聞くヤツだ!
「彼、無事に起きたんですか?」
美丈夫が室内へと入って来た。頭に2本の大きな角がある。最初はコスプレかと思ったが、ここが異世界である以上ホンモノなのだろう。
「あ、魔王さんも来たの? 公務は?」
魔王だと!? 確かに魔王っぽい見た目だけど。この場に勇者と魔王がいて良いのか? もうラストバトルなのか!?
「ひと段落したので来たんです。君、落ちてきた時はもう助からないんじゃないかと思ったんですよ。医療魔法でどうこうなるレベルを裕に超えていましたから。聖女のすぐ近くに転移して良かったですね。元気そうでなによりです」
見た目がTHE魔王な割に優しい人だな。人は見かけで判断したらダメだ。
「じゃあせっかく3人いるし、私達の自己紹介しよっか」
聖女さんは勇者さんと魔王さん、それぞれを優しい眼差しで見つめた。
「じゃあまず私は聖女です。聖女ではないんだけど、みんな聖女と呼んでるよ。あだ名だと思ってね」
「聖女さん……」
僕が呟くと、次の瞬間、剣の刃先が喉元ギリギリにあった。
「聖女様を呼ぶのは必要最低限にしてね。賢者君」
勇者が微笑みながら言った。
え、怖い。微笑んでるのがなお怖い。
「こらこら勇者。聖剣をしまってください」
魔王さんが咎めるように言った。
「りょーかい」
「賢者君ごめんね。この人は勇者。元勇者だけどね。私の旦那さんなんだ」
旦那!? なるほど。だから僕が聖女さんの名前を呼んだら怒ったのか。名前を呼んだだけなのに……?
「で、こちらが魔王。この国というか、魔界全体の王様。正真正銘の魔王さん」
「へー、ここは魔界なんですね。意外です」
魔界といえば鬱蒼とした雰囲気をイメージしていたが、ここはとても明るくて暖かい。窓の外では鳥がチュンチュンと鳴いているし。青々とした植物が随分とみずみずしいじゃないか。
「私も意外だったの! イメージと全然違うよね。でも元々は治安も悪くて暗い所だったらしいよ。現魔王さんの政策で、ここまで変わったんだって! 彼の妻として鼻が高いな~」
「いやいや、実際に行動を起こしたのは国民ですから。僕はただ法案を通しただけです」
「……妻?」
今、聖女さんは妻と言っただろうか。僕の聞き間違えか?
「あ、うん。魔王さんも私の夫だよ」
……なるほど。この世界では一妻多夫制が認められているのか。ついでに一夫多妻はどうなのだろうか?
「ついでに俺が正夫。魔王が側夫だから」
「は!? 君は僕の部下なので、僕が正夫です!」
正夫?側夫?どちらも初めて聞いた言葉だ。多分、正妻と側妻の夫版だろう。
勇者さんと魔王さんの醜い言い争いを、聖女さんがどうにか止めようとしている。困ったように眉を下げて苦笑いする聖女さんは、僕の想い人とは別人だとよく分かった。だって彼女はいつも真顔でクールだったから。
あ、そうだ。彼女が1度だけ表情を綻ばせた時があった。あれはお姉さんのことを話してくれた時だ。確か名前は────
「かんなぎさん」
室内が、凍りついたかのように静まり返った。3人ともぴたっと動きを止めて、みんな驚いた顔をしている。
僕も含めて全員がしばらく固まっていたが、魔王さんがいち早く行動を起こした。魔王さんが僕に手をかざすと魔法陣が現れて、僕は床に倒れ込んだ。身体が重い。縫い付けられたかのように全く動けない。ついでに恐怖で声も出ない。
「なぜキミが、聖女の名前を知っているのでしょうね。聞いたことだけ答えなさい。妙な真似をすれば容赦なく殺します。──良いですか?」
魔王は冷たい瞳で僕を見やった。
僕は唯一動く首を、懸命に縦に振った。
「良いでしょう。まずはイエスとノーで答えられる質問から。貴様はどこかの国や組織の回し者か?」
魔王さんは僕を疑っているようだ。
僕は決してスパイでも敵でもない!という気持ちを込めて、必死に首を横に振った。
「嘘はついてなさそうだよ?」
聖女さんこと神巫さんが、僕を心配そうに見つめた。助け舟を出そうとしてくれているようだ。
「聖女、なんでコイツのこと庇うんですか? まさか好意を抱いているわけではないですよね? 僕の聖女なのに」
「え? 俺の聖女様なのに? それなら賢者君のこと、俺がパッと殺っちゃおうかな~」
神巫さんの助け舟は、どうやら油槽船だったらしい。
まじかよこの2人。どっちも過激派ヤンデレじゃねえか。
「僕はただ榊さんからお姉さんのこと聞いて! たまたまその名前を口にしたら、たまたま聖女さんが榊さんのお姉さんだったんです。全てたまたまです! 偶然の産物です!」
僕は必死に声を上げた。このままだと、難癖つけられて殺されてしまう気がする。無我夢中で、無実になるための言葉を並べる。
「それに僕が好きなのは榊さんだけですから! 勘違いしないでください!」
僕は、息を絶え絶えにしながら訴えた。そして全ての主張を述べ終わると、乱れた呼吸を整えるために、身体の力を抜いて目を閉じた。
僕の目の前に、誰かが座った気配を感じた。
「あの子たち、元気かな?」
僕は顔を上げる。
神巫さんが、とても真剣な表情でこちらを見ていた。
「榊さんと千早君のことですね? 数日前に2人に会いましたが、その時は元気でしたよ。ちょっと前に1ヶ月くらい大学に来なくなって、心配してたんですけど……。久しぶりに大学へ来た時、2人の表情は晴々としていました。それと苗字が魚住に変わったと、そう言っていましたよ」
「良かった……」
神巫さんは瞳を閉じると、口元に笑みを浮かべた。
「本当に良かった……」
彼女の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出る。
勇者さんと魔王さんは、ただ神巫さんの様子をじっと見つめていた。2人は何を想っているのだろう。
「賢者君の魔法解いてあげれば?」
「そうですね」
身体がふっと軽くなった。僕が立ち上がると、神巫さんも立ち上がった。彼女は服の袖で涙を拭いている。
「ありがとう賢者君」
「そんな……僕は何も」
そうだ。僕は、ただ知ってることを伝えただけだ。
榊さんに連絡がつかなくなったあの時。あの双子に何か良くないことが起きているのだと、何となく分かっていた。それでも僕は心配をするだけで、何も出来なかったんだ。いいや、何もしなかったんだ。2人を救ったのは僕じゃない誰かで。
僕は本当に不甲斐ないやつだ。
「そっか。最初に私を見て驚いたのって、榊に似てたからでしょう? 瓜二つってよく言われてたし」
「「……は?」」
神巫さん!? なぜそれを今ここで言うの!? せっかく「たまたま」と濁して説明したのに!
僕は酷く寒気を感じて、身震いをした。やばいやばいやばい。
「聖女とよく似た妹君が好きだと?」
「それだと意味変わってくるよね~」
僕はジリジリと、2人に壁際まで追い詰められた。
火に油を注ぐことになっても、ここは彼女に助けを求めよう。そう考えて部屋を見回したが、何故か神巫さんが消えていた。
「……え? 神巫さんどこ?」
僕は背筋がぞくりとして、咄嗟に屈んで床に両手をついた。
「あれ~? 外したか~」
僕の第六感は正しかったらしい。背後の壁が深く抉れている。ちょうど首のあった高さだ。
「次は外さないでくださいね」
「うん、もちろん。聖女様の真名を2回も口にするなんて、マジで許せないし」
この2人はどうして協力関係にあるんだ? どっちも独占欲強そうなタイプなのに!
とにかく何か弁解したいが、神巫さんは別に好きじゃないと言ったら、それはそれで怒りを買う気がする。
「もう終わりだ……短い人生だった……」
僕は頭を抱えて小さくうずくまった。走馬灯らしき映像が浮かんでは消える。最後に浮かんだのは榊さんの顔で。
榊さん、あなたに告白しておけば良かった。
「見てー! これ賢者君が倒れていた近くに落ちてた!」
神巫さんが無邪気な声で笑っていやがる。
くそう。こっちはあなたのせいでピンチなのに、なんなんだまじで。
「──え? なんか凄くない?」
「膨大な魔力を感じますね」
勇者さんと魔王さんは、僕への興味を全く無くしたようだ。神巫さんの手の中にある、日本刀をしげしげと観察している。
「これは朱墨家の家宝で秘宝『朱月ノ命』だと思う。刃の部分がね……ほら、さまざまな色に光るの」
神巫さんは、鞘から少しだけ刀を出した。確かに、若干光を帯びている。初めは薄桃色だったそれが、今は橙色へと変わった。なんて美しいのだろう。
「つまりゲーミングってこと!」
「「げーみんぐ?」」
勇者さんと魔王さんは首を傾げた。
ゲーミングと聞いた途端にダサく見えてきた。神巫さんめ、余計なこと言いやがって。
「この刀は俺の聖剣と同じな気がする」
「特別なモノであることは、確かだと思うよ。異能の源泉って言われてたし。国宝として保護する?」
「そうですね……。とりあえず聖女が持っていてください。勇者の聖剣と同類なら、正式な持ち主の手にある時に最も安定しますから」
何やら小難しい話をしている。僕がボケッとしていると、神巫さんと目が合った。彼女は少しだけ微笑む。
あれ、もしかして助けてくれた? ありがたい!……って、元を辿ればあなたのせいでピンチになったのに!
「憂鬱だ……」
マイペースで自由気ままな聖女。狂気に満ちた曲者勇者。まともなフリをしている魔王。これから先、この3人に僕はめちゃくちゃ振り回される。そんな未来がはっきりと見えるのだ。
「どこか別の国に行きてー」
僕は床に突っ伏して、ボソッと呟いた。