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「こんばんは、聖女。今日はとても素晴らしい夜なので、あなたの命を頂戴に参りました」


 黒いローブを羽織った誰かは、平坦な声で淡々と言った。声が低く身長が高いため、多分男性であると、神巫は推測する。


「どなたですか?」

「魔王と言えば分かりますかね」

「え? じゃああなたが魔界の王様で、この国を脅かす悪者なの?」


 魔王は、あからさまに大きなため息を吐いた。


「人間以外の種族や国を悪と決めつける所が、差別意識の強い、この国の者らしいですね。それに脅かされているのはこっちだっつーの。何かと難癖つけて、何度も勇者を送り込みやがって。その度に僕が瀕死にして返して。最近頻度がやけに多いと思ったら、聖女なる存在が暗躍しているときた。この国は医療魔法がほとんど発展してないはず。どんなトリックを使ったんですか?」


 神巫は頬に手を当て首を捻り、考えを巡らせた。魔王は嘘をついているようには見えない。ならば悪いのは、ファスモディア帝国の方らしい。


「魔王さん。とりあえずごめんなさい」


 神巫は頭を深々と下げた。


「……は?」


 魔王は困惑に満ちた声をあげた。

 しばらくの後神巫は頭を上げると、魔王にゆっくりと、そして着実に1歩1歩近付く。


「私、この世界のことよく知らなくて。とりあえず話の流れ的に、魔王さんは人間以外の種族ってことですよね?」

「えぇ、そうですが……」


 神巫は目を輝かせた。魔王に近付くスピードを上げる。その足取りは軽やかである。


「私会ってみたかったんです。別の種族がいるっていう話は聞いてたけど。聞いただけじゃ夢物語と一緒だし」

「……え? そ、それはそうかもしれませんが──」


 神巫は魔王の目前までやってきた。


「な、なんですか。わざわざ自分から近付くなんて、なんて間抜け──」

「えいっ!!」


 神巫は魔王の黒いローブを、目にも止まらぬ速さで引っ剥がした。


「はー!?」「わーい!」


 2人は同時に声をあげた。

 少し癖のある長めの黒髪に、物語に出てくるエルフのように尖った耳。人形のように端正な顔つき。瞳はオッドアイで、右目がルビーのような赤色、左目がアメシストのような紫色。極め付けに、頭から牛のように、立派な2本の角が生えている。

 神巫はテンションが上がり、角をぺたぺたと触った。魔王は今し方呆気にとられていたが、ハッとして神巫の両手首を掴む。


「や、やめろ! 触らないでください!」

「角あったかいね。感覚あるの?」

「普通にあります。触られるとくすぐったい……ってそんなのどうでも良いでしょ! 変人!」

「私が変人?」


 神巫は、きょとんとして首を傾げた。


「えぇ、そうです。この国の人間達は普通、僕達には近付きません。触ろうなんてもっとありえない!」

「へー。そーなんだー。でも私はそんな普通知らないよ。だって異世界出身だもん!」

「はー!?」


 魔王は文字通り開いた口が塞がっていない。神巫は満面の笑みを浮かべて、踊るようにくるりと、一周回ってみせた。桃色のワンピースがふわりと広がる。


「だからね。どんなトリックを使ったのか?の答えは、異世界から特殊能力をもった人間を召喚した!でした~。いえーい!」


 魔王は神巫の言葉を聞くと、膝から崩れ落ちた。そして一旦は床に両手をついたが、そのまま崩れ落ちて床に転がった。


「えっ? なんで? 魔王さん? え? 大丈夫?」


 魔王は、どんよりとした絶望のオーラを身に纏っている。神巫は何だか、魔王のことが心配になった。


「この国の奴らはどうして禁術に手を染めんだ。どれだけの代償を支払うことになるかは、馬鹿でもわかるはず。……あぁ、そうか。王族や貴族の一部が良い生活をできれば、それ以外はどうなろうが構わないと考えやがったな。だから最近天災が多発して……。クソッ!!」


 魔王は拳で、床を力無く殴った。そしてその音を最後に、ただ沈黙が続いた。鉛のように重い空気が周囲に充満する。それを打ち破ったのは、神巫の口から小さく漏れた、乾いた笑いだった。


「……あぁ、そっか。私の存在は、この世界でも馴染まないんだね。残念」


 神巫は、魔王の目の前へと静かに正座した。

 そして目を閉じ、考えを巡らせるのだった。神巫は異世界に行くことを夢見ていた。それはみんなが魔法を使える世界に行ければ、一般人として幸せになれると信じていたからだ。そうやって夢をみる時間が、閉じ込められ、自由のない生活を強いられていた神巫にとっての、唯一の救いだった。


「私の存在がこの世界を狂わすなら、報いを受けなきゃね。私の命が頂戴されたら、その歪みは戻るのかな?」


 魔王は勢いよく起き上がると、神巫の両肩を力強く掴んだ。


「いや! 違う! すまない。聖女は被害者です。報いを受けるべきはこの帝国の上層部であって、決して君ではない。それに、これは君の命でどうこうなることでは……」


 魔王の声はだんだんと小さくなった。神巫は悲しそうに、諦めるように、少しだけ目を細めた。


「ありがとう魔王さん。あなたは優しい人だね。でも、どうかな。私の異能が、誰かの人生を狂わせる危険なものであることは変わらない。だってこの異能は治癒じゃなくて──」


 突然全身を鋭い痛みが襲い、神巫はその場にうずくまった。


「聖女!? どうかしたんですか!?」

「から……身体がいた、痛くて……。あれ? 治った」


 神巫を襲った痛みは一瞬で消え失せた。

 神巫と魔王は顔を見合わせる。


「あ、今日の昼にあったのと同じだ。そういえばあの時も、異能の欠点について話そうとしたような……」


 魔王は神巫に手のひらをかざした。すると、神巫の目前に魔法陣が現れた。


「なるほど。微かですが魔法の残滓を感じますね。これは多分、真名で縛る魔法。呪いと言った方が的確かもしれない。誰かに名を教えた?」

「真名って、本名のこと? うーん、この国に転移した時に教えたと思う。自己紹介普通にしちゃったし」


 現代日本において本名を教えることは多々ある。その感覚がこの世界では仇となったのだった。


「なるほど。呪いが破棄されたということは、術者が自分の意思で解いたか、もしくは死亡したのかのどちらかですが──」


 神巫は何かを考えるような表情をした後、その瞳が憂いで満ちた。


「私の異能は人を殺せる。聖女をプロデュースする上で、その欠点は隠したかったんだろうな。朱墨家の人間と一緒……」

「……殺せる?」


「俺の聖女様に近付くな!!」


 部屋の扉が開け放たれた次の瞬間には、全ての窓が粉々に割れた。

 魔王は、口から血を吐いて膝をついた。そして神巫は、いつに間にか、勇者に抱きかかえられていた。


「え? お姫様抱っこ? なんで勇者様?」


 勇者は優しく微笑み、神巫の唇に触れるだけのキスをした。

 神巫は驚き目を見開いた。神巫にとってのファーストキスだった。


「あー、その顔かわいい。起きている時にキスするのは初めてだ。お迎え来るの遅くなってごめんね」

「……え? 今、起きてる時にって言った? 言った?」

「あー、口が滑ったなぁ。まあ、そのことは後でゆっくり話すから──」


 勇者は、神巫をベットの上にそっと降ろした。


「──聖女様、ここでちょっと待っててね。あいつのことぶっ殺してくるから」


 勇者は踵を返して数歩前に出た。魔王は立ち上がり、口元に付いた血を拭った。勇者と魔王、双方が対峙する形となる。


「おやおやまた君ですか。何度僕にやられれば気がすむんですか……と言いたいところですが。君、今までは手を抜いていましたね?」

「そりゃそうでしょ。魔王城攻略戦なんて、帝国の民にそっちが悪だってを印象付けるための、ただの茶番なんだから。あんな馬鹿げたパフォーマンスに本気になるわけない」

「最悪ですよ。付き合わされるこっちの身にもなってください」


 魔王は頭が痛くなり、眉間の辺りを指で押さえた。


「それとね~。この際だから言っちゃうけど、毎回わざわざ致命傷を負ったのは、聖女様に治してほしかったからなんだ。彼女と触れ合う時間は僕にとっての至福だから。……たとえ寿命が縮もうともね」

「え?」


 今度は神巫が声をあげた。


「勇者様知ってたの? いつから?」


 神巫の異能を使われた者は、肉体の時間を戻した分だけ寿命が縮む。正確にいえば、1日戻すと30日分の寿命を削る。例えばロウソクの長さが寿命で、灯る火は命だと仮定する。生きている限りロウを消費して、いつかはロウを全て使い終わってしまう。ロウを全て使い終わった状態が、寿命を迎えたということだ。神巫の異能を身体に受けると、火はいつもよりも激しく燃える。もし仮に1日1cmロウを消費するとしたら、丸3日時を戻すと、一瞬で90cmも消費するのだ。肉体の時間を戻してもロウソクの長さは戻らないため、異能の多用は禁物といえる。この点が神巫の使う「戻す」異能における、最大の欠点であった。


「なんともいえない表情も可愛いね。俺の聖女様」


 勇者はいたずらっ子のように目を細めて、神巫の方へと向き直った。


「結構初期から知ってたよ。まさか他言しないように呪いがかけられているとは知らなかったけど。でも聖女様安心してね。呪いをかけた魔導士は死んだから、もう痛い思いをすることは無いよ〜」

「そっか。ありがとう。……あれ? ありがとうで良いのかな?」


 呪いが解けたことは喜ばしいが、勇者は神巫のために誰かの尊い命を奪ったという。神巫はお礼を言ったものの、この言葉が妥当なのか自信が持てなかった。


「なるほど。君が聖女の呪いを解いたと。しかし聖女の真名は他の者も知っているのでは? それではイタチごっこですよ」

「大丈夫だよ~。聖女の名前はもう変わったから。俺と『魂姻(こんいん)の儀』をして」

「え? コンイン? あ、婚姻のこと? 私達いつ結婚したっけ?」


 神巫がきょとんとした顔で首を傾げた。魔王は憐れむように神巫を見た後、勇者をじっくりと見つめた。

 魂姻の儀とは、真名を使って互いの魂を繋ぐ儀式である。互いを心の底から愛していなければ儀式は成功せず、失敗時のペナルティも大きい。最悪死ぬこともある。

 儀式が成功したとして、得られるのは、真名を変える権利のみ。副賞として、居場所や感情が互いに筒抜けになる特殊な魔法が強制発動する。しかも、死ぬまでこの魔法が解けることは絶対にない。そんなプライバシーが皆無になる状況を喜ぶ者はほぼいないし、他者の感情が流れ込むことで、精神が壊れる例も過去にはあったらしい。よって呪いと表現するのが妥当である。

 つまりメリットがほぼなく、デメリットが兎に角大きい。そのため現代ではほとんど行われていない、絶滅寸前の儀式である。

 上記の理由から一方的な愛では魂姻の儀は成功しないが、実は抜け道が1つだけあった。それは莫大な魔力で(ことわり)をねじ曲げること。


「あぁ、そういうことか。君、人間じゃないでしょう?」

「あれ? バレちゃったかー。そうそう、見た目が人間のそれにたまたま近かったからね。人間のフリしてたんだ。そっちの方がなにかとイージーモードだったから」


 勇者は無邪気に笑った。対する魔王は溜息を吐いた。


「君のような魔法の使い手、魔界でもなかなかいない。配下に加えたいほどですよ」

「あっそう。でも俺は聖女様に危害を加えようとするやつを絶対許さないから。それがたとえ未遂でもね」


 勇者は光り輝く大きな剣を構えた。聖剣と呼ばれるそれは勇者のみが使用を許される、ファスモディア帝国の秘宝である。今まで幾人もの魔王を葬ってきた聖なる剣は、魔法の威力を著しく底上げする。

 やれやれといった感じで、魔王はもう一度ため息を吐いた。そして異空間から取り出した、身長ほどある禍々しい杖を、右手に構えた。

 空気が一瞬にしてピンと張り詰めた。勇者と魔王は一触即発の雰囲気となる。


「あ、待って勇者様。魔王さん良い人だから」


 いつもの調子で神巫が声をかけた。


「いや……君、よく口を挟めましたね」


 魔王が呆れ顔で言った。勇者はムスッとして頬を膨らませる。


「えー、でもコイツ聖女様のこと殺すためにわざわざ来たんでしょ?」

「たぶんそうだね。初めに『命を頂戴する』って、魔王さんに言われたから」

「いや……確かに言いましたけど……」

「ほら、やっぱり! 魔王のこと殺した方が良いって」


 神巫はベットから降りようとしたが、すかさず勇者が抱きかかえた。抱きかかえる上で邪魔だったのだろう。聖剣が床に投げ捨てられている。


「ガラスの破片が落ちてるから、裸足で歩いちゃダメだよ」

「ありがとう勇者様。そういえば私の名前って全部変わったの?」

「いや? ファーストネームはそのままだよ。それ以外の部分が変わった」

「ふーん、わかった」


 魔王は口を挟むことも動くこともできず、生温かい気持ちで2人を見守っていた。とりあえず床で鈍く光る聖剣を手に取り、埃を払ってローテーブルの上へと置いた。


「魔王さんはなんて名前なの? ついでに私は神巫」

「カンナギ……」


 魔王はいきなり話を振られてギョッとしたが、無意識のうちにその名前を呟いていた。


「え! なんで聖女様名前教えちゃうの! 俺だけの聖女様なのに!」

「だって苗字まで言わなきゃ悪用されないんでしょ? だったら良いかなーって」

「良くないもん! 名前は大事な人にしか教えちゃダメなの!」


 勇者は腕の中にいる神巫を抱きしめる力を強めて、わざとらしく泣きだした。そんな勇者の頭を、神巫が優しく撫でる。


「僕は……僕の名前は──」

「なんで普通に答えようとしてんの!」


 魔王の発言に、すかさず勇者が割り込んだ。


「それもそうですね……」


 魔王は胸の辺りを手のひらで押さえた。偽名を使うことも答えないという選択もできたのに、なぜか全て本当のことを言ってしまいそうになった。魔王は、不思議な気持ちが心を支配しているのを感じた。


「えー。勇者様なんで邪魔するの?」

「ファーストネームだけなら悪用されないけど、そんなにポンポン教えて良いものじゃないの! これは愛の告白か、それ以上に意味のある行為だから。つまり浮気だよ! 俺の目の前で魔王と浮気なんて許せない!」

「まあまあ落ち着いて。私にとってはただの自己紹介だから」


 神巫は勇者を軽く宥めた。ぶつぶつと恨み言を呟く勇者を無視して、神巫は目線を魔王へと向けた。


「ねえ、魔王さん。命だけとは言わず、いっそ私の全部を貰っちゃうのはどうかな」

「……え?」


 魔王は間抜けな声をあげた。

 神巫は微笑んで話を続ける。


「私、魔界に行ってみたいな~ってずっと思ってたの。それに、私が行けば勇者様も自動でついて来るよ。多分部下にもなってくれる。これでみんな幸せだね!」

「確かに君を保護するつもりでいましたが……」


 魔王は気まずそうに勇者を見つめた。


「──俺は聖女様がそうしたいんだったら、それで良いよ」


 勇者はあっさりと答えた。


「意外ですね……」

「そう?」


 先程までとは打って変わり、勇者は随分と落ち着き払っていた。神巫の顔を幸せそうに見つめている。まるでこうなることを、最初から予期していたかのように。


「じゃあ決まりだね!」


 神巫は満足そうに、勇者と魔王それぞれを見つめた。


「えぇ、それでは早速我が国へ行きましょうか。魔界へのゲートを作ります」

「あ、ちょっと待って。その前に──」


 神巫は魔王を止めた。勇者の腕から抜け出すと、純白のパンプスを履いて、2人の間に立った。

 そして右手に勇者、左手に魔王の手をとって、それぞれを握った。


「この帝国を3人で滅ぼそ?」


 微笑む神巫は、聖女の如き美しさであった。

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