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「私の心を覗いてほしい」


 朱墨(あけずみ)家当主の朱墨神巫(かんなぎ)は、隣に座る美しい女性にこっそりと耳打ちした。鮮やかな水色の着物を着た、魚住(うおずみ)家当主の魚住まりもに。


「え?」


 濁りの無いまっすぐな瞳は、まりもの正義感の強さと聡明さを体現している。

 その瞳に明らかな困惑が浮かび、神巫は珍しいものを見れたと、非常に嬉しくなった。


「かわいーね! まりもさん」

「え……?」


 だからこの時、顔が緩んでしまうのは、避けようがないことであった。

 興奮する気持ちをどうにか押し込め、神巫は引き続き小声で話す。


「お願い。まりもさんは心を読むことができるのでしょう? 私知っているんだ」

「そ、そうだけど、当主会で異能の使用は……」

「大丈夫。バレなきゃ良いんだよ。それに禁止ではないでしょう?」


 神巫は微笑んだ。そしてゆっくりと周りを見回した。

 この場には数十名の、和装に身を包んだ男女が集まっていた。黒色のテーブルクロスがかかった長方形の机を囲うように座っている者が、各家の当主である。それぞれの当主の背後に立っている者は、その護衛だ。全体としてひりついた雰囲気が漂っているが、仲の良い者同士で話をしたり、黙々と懐石料理を楽しんだりと、それぞれが思い思いの時間を過ごしている。

 誰も神巫とまりもの会話に関心を示していない。


「──ね? お願い。私とっても興味があるの。心を覗かれてみたいなぁ」


 神巫は口元のあたりで祈るように両の手を合わせて、少しだけ首を傾げた。髪に付けたかんざしがシャランと鳴る。神巫は自分が1番可愛く見える角度を知っている。


「えっと、でも……」


 まりもは神巫の護衛に目を向けた。神巫の弟に当たる千早(ちはや)である。

 千早はスッと目を閉じた。神巫は後ろを振り返り、そんな弟を見てクスッと笑う。


「はぁ、分かったわ。ちょっとだけだからね。じゃあ私の目をよく見て」


 神巫はまりもを見つめた。そして事前に決めていた言葉を強く念じる。


「……え?」


 まりもは目を見開いた。



 ◇◆◇



「あぁ、良かった。ちゃんと来てくれて」

「まさかこんな場所に呼び出されるとは、思ってなかったわよ」


 当主会がお開きとなった後、神巫はお手洗いに行きたいと言った。いつもなら女性の護衛が付いて来るが、今日は男性しかいなかった。よって神巫の予想していた通り、妹の(さかき)が付いて来る運びとなった。なお榊と千早は双子で、2人は先日二十歳となったばかりだ。

 このお手洗いには3つの個室があり、奥の壁には、高い位置に光を取り入れるための小窓がある。開ければ女性が1人通れるくらいの、すりガラスの小窓が。

 2人は目配せをした。神巫はまず、髪に飾られたかんざしを丁寧に抜いて、榊に手渡した。このかんざしに盗聴器とGPSの機器が隠されていることを、2人は知っていた。「榊……私お腹痛いかも……」と一言添えてから、神巫は榊に肩車をしてもらい小窓から外へ這い出た。

 そして現在に至る。


「なるほどね。珍しく袴を着てると思ったら、そっちの方が動きやすいから? そこまでして私と2人になりたかったのはなんで?」

「心を読んでくれたんだー。説明省けて良かったよ。時間が無いから。この密会はもって10分くらいだね」


 神巫は突然真顔になり、スッと目を伏せた。


「まりもさん、あのね……」


 まりもは相手の瞳を見た時、その者の思考を100%読むことができる。しかし瞳を見なくても、ある程度は思考を読むことが可能だ。

 よって目を伏せた神巫の思考を読もうとしたが、そこにあるのは「無」だった。一気に恐怖が沸き上がり、息を呑んで身構える。


「まりもさん、私と友達になってください!」

「……は?」

「きゃっ! 伝えちゃった!」


 神巫は顔を紅潮させ、子どものようにはしゃぐ。一方のまりもは、完全に拍子抜けだと言いたげな顔をした。


「え? そんなことで? 朱墨家は色々と噂が絶えないから、もっと重要なことかと思った。ハラハラして損した気分よ」

「そんなことって酷いなー。私普段は部屋に閉じ込められているから、友達1人しかいないんだよ? たまに外に出してもらえるけど、それは異能を使う時か年に1度の当主会くらいで」


 まりもの脳裏に、見たことのない部屋の情景が流れ込んできた。神巫が自身の部屋を思い浮かべたため、まりもが、それを図らずも読んでしまったのだ。

 20畳ほどの広い室内には、白を基調とした可愛らしい家具が並ぶ。大きなベッドにはレースの天蓋が付いており、ドレッサーにはトレンドの化粧品が所狭しと並んでいる。ベッドが置かれた壁の対面は本棚となっており、その全てに本が詰まっている。どうやら異世界ファンタジー小説が多いようだ。これだけの情報なら、ただの可愛らしい部屋と言えたかもしれない。普通の部屋と明らかに違うのは、窓に頑丈な鉄格子が嵌められていること。ベットのそばにある2つの扉の中が、それぞれお風呂とお手洗いになっていること。そしてこの部屋が、外から鍵をかけられることだった。


「まりもさんは裁判官しているんでしょ? その異能あれば最強だね。良いな~」


 まりもは絶句した。神巫の置かれている状況に驚愕して、何も言葉が見つからない。


「──ねぇ、答えは? まりもさん、私の友達になってくれる?」

「……え?」


 まりもは唖然としていたが、神巫の言葉で、思考が現実へと戻ってきた。

 まりもは真剣な瞳を神巫へと向けた。そして、ゆっくりと丁寧に言葉を紡いだ。


「えぇ、もちろん」


 正義感の強いまりもは、神巫の置かれた状況が許せないと思ったのだ。自分に出来ることは何かと、早速考え始める。


「ありがとっ!」


 神巫は無邪気に笑った。

 まりもも釣られてぎこちなく笑う。


「まりもさん。お友達になった記念に、私の異能の欠点を教えてあげる」

「……え?」


 まりもは困惑した。神巫の発言の意図が分からないためだ。

 対する神巫は、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「私のことを神格化している連中がいるのは知ってる?」

「……えぇ。聞いたところによると、あなたは治癒の女神と呼ばれているのでしょう?」


 朱墨家の異能は、病気や怪我を治すもの。その中でも朱墨神巫の異能は、歴代の当主と比べても飛び抜けて優秀で、どんな病気や怪我も一瞬で治せるというもっぱらの噂であった。


「うん、そう。私、カンナギっていう御大層な名前も好きじゃないけど、治癒の女神ってあだ名は大嫌いなんだ。だって、朱墨家が代々受け継いできた異能は治癒じゃないから」


 まりもは驚き目を見開いた。神巫は淡々と言葉を続ける。


「私の異能は『治す』よりも『直す』が正しく、『直す』よりも『戻す』が的確なの」


 神巫は話すのと同時に、宙に指で漢字を書いた。治す、直す、そして戻すと。


「ただ肉体の時間を戻してるだけだから。戻した分だけ、記憶も一緒に消える。そして病気には有効じゃない」


 神巫は悲しそうに遠くを見つめた。


「それにもう1つ、私の異能には重大な欠点がある。でもそれらを直隠して、朱墨家の連中は金儲けをしてるってわけ。これから話す情報は絶対に役に立つからね。だからお願い。もし私に何かあった時は、弟と妹……千早と榊をどうかあの家から────」



「聖女様!」

「聖女様! 聖女様!」

「聖女様! 聖女様! 聖女様!」

「聖女様! 大臣がいらっしゃいます!」


 神巫は、ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。せっかく数少ない友人との会話を思い出していたのに、それの途中で邪魔をされたからだ。

 神巫は溜息を吐き、瞑っていた瞳を渋々開いた。目の前に、ステンドグラスが見事な教会風の景色が広がる。ここは周囲の人々に神殿と呼ばれている場所だ。

 神巫は、神殿奥の中央に置かれた椅子に座っている。背もたれ部分が10mほどある、色とりどりの宝石で派手に装飾された、大理石の椅子。そこに1日中座って微笑んでいることが、神巫の主な役目だからだ。


「めんどいな~」


 神巫は伸びをして居住まいを正した。この世界でのあだ名は、女神ではなく聖女だった。


「聖女様!!」


 丸々と太り額に脂汗をかいた大臣が神殿の大きな扉を力任せに開いた。そして神巫の座る椅子の前へとやってきて、片膝をついた。


「勇者が重傷を負ったのです! 今すぐに治癒をお願いいたします!」

「またですか……」


 神巫はまたしても溜息を吐いた。そして考える。あの子は何回死にかければ気が済むんだと。


「では今すぐ連れて来てください」

「えぇ、今すぐに。おい! おまえら! 早く勇者を連れて来い!」


 勇者は、担架に乗せられて運ばれてきた。血塗れで、意識が朦朧としている男性。それが勇者だ。重そうな分厚い甲冑には大きな穴が空いており、その下の皮膚は深く抉れている。まだ生きているのが不思議なくらいだった。

 神巫は大理石の椅子から立ち上がり、勇者の方へと歩みを進めた。純白のドレスから垂れた幅の太い何本ものリボンが、床を滑り広がる。美しい聖女の姿に、大臣とその配下の者達は、血濡れた勇者のことなど忘れて息を呑んだ。


「どれくらい前に致命傷を負いましたか? 出来るだけ正確に」


 聖女に見惚れていた配下の1人が、ハッとして話し出す。


「い、一刻ほど前かと……」

「わかりました」


 神巫は勇者の血濡れの手に、自身の白い手を重ねた。その次の瞬間、一帯を白い光が包んだ。


「おぉ!! 奇跡だ!!」


 周囲から、わっと歓声が上がる。勇者の傷はまるで最初から無かったかのように、綺麗に消えていた。


「少しすれば、勇者様は目を覚ますと思います」


 神巫は勇者の手に重ねた、自身の手を見つめた。手のひらには、血がべったりと付いていた。神殿の床にも血溜まりができている。神巫はいつも不思議に思う。勇者の生命力は人間のそれを超えている気がしてならないと。


「さあさあ、聖女様はこちらへ」


 神官に促され、神巫は神殿に併設された自室へと移動した。神官は手に付いた血を柔らかい布で丁寧に拭いた。神官と言っても、この人達の主な業務は神巫の警護と世話である。


「湯浴みもされますか?」

「うん、そうする」

「かしこまりました」


 神官が5人がかりでドレスの紐と髪を解き始めた。聖女のためにデザインされたドレスは無駄に構造が複雑で、着脱も一苦労なのだった。そしてドレスに合わせて、ヘアアレンジも手の込んだものとなっているせいで、神巫はより辟易とした。

 しばらくして、髪は先に解き終わった。腰のあたりまで伸びた艶のある髪を、神官は簡単に高い位置でまとめた。

 神巫はぐるりと周囲を見渡した。白を基調とした家具に天蓋付きの大きなベット。ベットの近くに2つの扉。ベットの対面の壁は一面が本棚。窓には頑丈な鉄格子。そしてこの部屋は外から鍵をかけられる。

 ここは奇しくも、日本にいた頃に閉じ込められていた、神巫の自室とそっくりであった。


「さあさあ聖女様。湯浴みの支度もできておりますので」


 神官の1人が、ベットの近くにある扉を開いた。白い湯気が部屋にもくもくと広がる。


「では聖女様ごゆっくり。終わりましたら我々をお呼びください」


 神官達は美しくお辞儀をして、全員が自室の外へと出ていった。1人残された神巫は、下着を脱いで乳白色の薬湯へと浸かった。

 水面には色とりどりの花が浮かんでいる。神巫は、花を一輪掴み鼻に近付けてみたが、特に香りはしなかった。代わりにヒノキの香りが鼻をかすめた。浴室の床と壁の一部にヒノキが使われているためだ。


「同じ木が生えているなんて、やっぱり不思議……」


 神巫はまりもと話した数日後、家を抜け出した。後でどんな酷い目に遭おうとも、どうしても行きたい所があったからだ。今まで従順にしてきたため、警備の目は緩んでいた。だから脱走は意外にも上手くいった。行きたい所にも行けた。やりたいこともできた。だから家の者に見つからずとも、自分から大人しく帰るつもりだった。暗い帰り道を1人静かに歩いていた。確かにそのはずだ。しかし、なぜか、どうしてか。気付いた時には、神巫は魔法が幅を利かすファンタジーな異世界、ファスモディア帝国へと転移していた。


「私に何かあった時はよろしくってまりもさんに言ったけど、まさか異世界転移するとは思わなかったなー」


 浴室の高い位置には、すりガラスの小窓がある。空の青を映す、はめ殺しの小さな窓を、神巫はじっと見つめた。すると千早と榊、双子の顔が神巫の頭に思い浮かんだ。


「あの2人はまりもさんに保護してもらえたかな。私の代わりになってないと良いけど……」


 千早と榊は、神巫ほどではないにしろ、異能を使うことができた。この世界に転移してから既に数週間。神巫は2人のことが心配でたまらなかった。


「毎度毎度困ります! 聖女様は湯浴み中で!」

「勝手に入らないでください!」

「たとえあなた様でも──」


 浴室の外から、争うような声が聞こえてくる。しばらくして静かになったが、浴室の扉が勢いよく開いた。


「聖女様ー!! 俺が来たよー!!」


 サラサラの銀髪。ラピスラズリのような瑠璃色の瞳。アイドルのような甘いフェイス。弾けるような笑顔。踊るように浴室へと突撃してきたこの男こそ、先程まで死にかけていた勇者であった。

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