表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/31

5. 希望



 暖かな光と共に、白梅の中に、新たな記憶が浮かび上がってきた。



 ***



 その晩、白梅は、早少女村を離れ、近くの大きな村を当てもなく歩いていた。


 心は空っぽの抜け殻になり、なぜ今、自分が生き延びて、彷徨い歩いているのかも、分からなかった。


「早少女村が、どうやら黒龍に襲われたらしい」

「そうなのか?」

「奴が村にいるのを見た人がいるって噂だ」

「それじゃあ、そろそろこの村にも来ている頃なんじゃないか?」

「しかも、もうすぐ成体になるかもしれないって噂だ」

「早く仕留めないと、大変なことになるぞ」


 頭痛と眩暈がしながら、白梅は、あまり深く考えずに、その噂話を聞き流していた。


(…………)


 白梅は、大好きだった早少女村なくしては、この先どうしたらよいのか、全く分からなかった。


 悲しい、悔しい、疲れた、辛い、眠い、お腹が空いた、寒い、悲しい……


 大きな村を出て、すぐの場所で、白梅は足に力が入らなくなり、そのまま身体を地面に横たえた。


 目の前に、見るからに毒々しい色をした草が、生えているのが見える。

 白梅は、自分の命も何もかもを投げ出したくなり、泣きながらそれを食んだ。



 その草は、酷く苦かったが、弱々しい力で咀嚼して、なんとか飲み込んだ。


 白梅は、自分の身体の中から徐々に、妖力が枯渇していくのを感じた。

 そして、身体がどんどん小さくなっていき、どうやら獣化をしていると気づいた。



 妖獣は、妖力を利用することで、種族の元となる獣の体……獣体になることができる。

 その変化のことは、獣化と呼ばれている。


 獣化すると、通常よりも強い力を操ることができるが、獣化が始まり完了するまでの時間は、隙が生まれ、無防備になる。

 そして、獣化が完了して、獣体になったとしても、その体を維持するだけで、妖力を大量に消耗する。



 白梅は、全てがどうでもよくなっていたので、獣化で妖力を消耗することも構わず、小さな猫の姿で丸くなり、そのまま動かずにいた。


 その夜は、とても冷えて、全身の血液が凍えそうだった。

 このまま、数刻ここにいるだけで、自分は死ぬのだと直感した。



 ***



 しばらく経つと、背後に、何者かの気配を感じた。


 その者は、白梅に近付き、背中に手を当てて、息があることを確かめた後に、こう呟いた。


「この草は、体内に取り込むとすぐに獣化が始まり、しばらくは元に戻れなくなる」


 その声は、少し掠れた中性的な声だった。


 白梅が、わずかに顔を上げると、目元に薄手の布を巻き、頭を厚手の布で覆った人物が、白梅を見下ろしていた。

 黒い衣を纏ったその者は、容姿のほとんどが隠されており、すらりと背が高かったので、白梅は


(怪しい男性だな)


 と、ぼんやりと思った。


 男は、白梅の体を抱き上げて、両腕の中に収めると、そのまま歩き出した。



「あなたは死にたいようだ」


 男は、抑揚のない声で、静かに呟いた。


「私には、分かる」


 白梅は、何も言わなかったが、どうしてこの男に分かるのだろう、と思った。

 男は、木の影に腰を下ろし、白梅を自身の膝に乗せた。


「死にたいのならば止めはしない」


 男の暖かな手が、白梅の背中に触れた。

 その手は、少し躊躇いがちに、背中を撫でて、小さな体を温めようとした。


「でも、恐らくあなたは、あなたひとりの力だけで生まれて、今日まで生きてきた訳ではないはず」


 男の手つきが、徐々に穏やかな、優しいものへと変わっていった。


「後悔しないように、よく考えて」


 その手は、白梅の頭をゆっくりと撫でた。

 白梅は、ただ淡々と告げるその声を聞きながら、雪が溶けるように、思考が巡りはじめるのを感じた。


 そうだ、自分はまだ生きている。


 自分だけが、生き残ってしまった。

 その事実は、どんなに後悔して悲しんでも、変わらない。

 唯一生き残った者として、自分はこのまま、本当に命を絶ってしまっていいのだろうか。


(村の皆は……どう思うんだろう)



 白梅はふと、村の皆は、まだ誰にも弔われずに待っているのだろうかと、気掛かりになった。


 自分はまだ、皆に、育ててもらったお礼を言えていない。

 きっと村で、白梅のことを待っているはずだ。

 自分が弔わなければ、一体誰が弔ってくれるのか。

 今まで、自分を育ててくれた村長の記憶は、誰が覚えていてくれるのだろうか。

 紗代や皆のことを、白梅以外に、誰が思い出してくれるのだろうか。


 優しかった村人達を、世界が時と共に忘れていってしまうかもしれないことに、白梅は、耐えられそうになかった。


 それに、いまここで無駄死にをしてしまったら。

 今朝、村で食べた畑の野菜や、鳥のピーちゃん、そして今まで自分に命を与えてくれた存在たちにも、顔向けができないと思った。



『白梅』


 先ほどから、自分にだけ語りかけているこの声は、自分を守ってくれる存在のような気がした。


 白梅は、自分にはまだやることがあって、自分はまだひとりではないのかもしれないと思い至った。

 そう思えると、ひどく安心して、微睡の中で意識を手放した。


(みんなが……村で待ってる……)


 ここ数日間は、凍えるほど寒かったのに、今夜は珍しく、それほど寒くない気がした。



 ***



 朝起きると、男は既に立ち去っていた。


 白梅の体には、厚手の布がかけられていた。

 そして隣には、木の実と、水の入った木椀が置かれている。


(あのひとが、置いていってくれたのかな?)


 白梅は、自分を助け、声をかけてくれたあのひとに、いつか恩返しをしたいと思った。


 一つ目的が見つかると、生きる勇気が湧いてきたような気がした。



 ***



「そうだ、私はあのひとに恩返しがしたかったんだ……」


 突然、白梅が呟いたので、隣に腰を下ろしていた朔夜は、気遣わしげな視線を送った。


「記憶が?」

「うん。少し思い出したよ」


 朔夜が、水の入った木椀を手渡してきたので、白梅は受け取ってお礼を言った。


 木椀に口を付け、冷たい水を飲み干すと、心地よく喉が潤う。

 気づかないうちに、相当喉が渇いていたようだ。


「ありがとう」


 水を飲み終えて、木椀を朔夜に返す。


 そういえば、あのひとが座っていた場所も、ちょうどこの木陰だった。


「この先にもまだあるんだね」


 朔夜は頷くと、すっと立ち上がり、左手を差し出した。

 白梅がその手を掴むと、朔夜は、白梅を軽々と立ち上がらせた。



 ***



 山道を進むと、生い茂る木々の中に、一つの古びた小屋が現れた。


 もう何年も、使われていないと思われる小屋は、中に入ると、調理器具や寝床のようなものがそろっており、かつて誰かが、生活をしていた形跡があった。


(ここにもある……)


 その寝台の上に、花弁の光が漂っているのを見つけた。

 やはり、この場所も、自分と所縁があるのだろうか。

 白梅は、その光に近寄った。



 ***



 白梅は、あの悲しい夜から、少し立ち直った後、早少女村の人たちを弔うことにした。


 その日の朝は、目隠しの男性が置いていったと思われる、木の実と水をいただいて、白梅はすぐに早少女村に向かって走り出した。



 村の入り口の目前に、辿り着いたところで、赤い衣を着て薙刀や槍を持った人間が数名、白梅に向かって襲いかかってきた。

 しかし、白梅の頭の中には、早少女村の人を弔いたいという強い意志しか無かった。


(皆を弔うまでは、誰にも邪魔はさせない……!)


 その強い気持ちだけを持って、村の入り口へ突っ込んで行ったところ、白梅の体が光り輝き、襲いかかってきた人間たちは、強風を受けたように、遠く四方へと、飛んで行った。

 

『あと四回……』


 頭の中で、そう告げる声が聞こえたが、白梅はとにかく村の中へ急いだ。



 村に到着するまでは、実のところ、村人たちの亡骸と対面する勇気が無かった。

 しかし、いざ村の中に入ると、白梅の記憶にあったはずの多くの亡骸は、全て跡形も無くなっていた。


(皆は、一体どこに行ったんだろう……)


 あの夜に起こったことが、今でもまだ信じられない気持ちで、白梅は、村の中を見渡しながら歩いていた。


「……」


 懐かしい家、誰もいない畑、音の無い大通り……


 そして、村の中央の広場に辿り着くと、誰かが大きな穴を掘ったあとに、何かを埋めた形跡があった。

 少し掘り返してみると、服の端切れや髪留めなどの小物が出てきたので、恐らく誰かが、村人を全員、この場所に埋めてくれたのだろうと思った。


 しかし、悲劇のあの夜において、白梅以外の村人は、全員殺されていたはずだ。

 一体、誰が埋めてくれたのだろうか……


(もしかして、あのひと……)


 白梅の頭の中で、あの晩に声をかけてくれた、目隠しの男性がよぎった。


 白梅は、村人を埋めてくれた、どこの誰かも分からないひとに向かって、心の中で感謝した。



 ***



 その日は明るいうちに、村人が埋められたその場所に墓石を建て、綺麗な花を摘んで、墓石の前に手向けた。

 そして、静かに手を合わせると、白梅は長い間、その場で祈りを捧げ、早少女村に別れを告げた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ